医師として長年活躍された、日野原重明さん。
今回は、そんな日野原さんを支えた『家族』の物語です。
名 前:日野原重明(ひのはら・しげあき)
生年月日:1911年〈明治44年〉10月4日
没年月日:2017年〈平成29年〉7月18日
出身地 :山口県吉敷郡下宇野令村
出身大学:京都帝国大学医学部
◆父親は牧師
日野原重明さんの父親の名前は、日野原善輔さん。
職業は牧師さんでした。
日野原さんが生まれた時は、アメリカにあるユニオン神学校に留学中でした。
日野原さんは、父親の影響を受け、7歳で受洗しています。
お父さんは留学から帰国すると、大分メソジスト教会や神戸中央メソジスト教会を経て、広島女学院長に就任。
日野原さんも、大分や神戸で幼少期を過ごしています。
◆母の病を機に医師の道へ
日野原重明さんのお母さんの名前は、満子さん。
母・満子さんは山口県吉敷郡下宇野令村の出身であり、日野原さんもお母さんの実家で生まれています。
働き者で、やりくり上手だったお母さんが急に倒れたのは、日野原さんが10歳の時。
尿毒症になって、夜中にけいれんを起こし、意識を失ってしまいます。
かかりつけ医師の安永謙逸先生は、
これは非常に重篤だ
と言いましたが、
助かるの?
と質問する日野原少年に、先生は黙ってうなずいてくれました。
安永先生の処置もあり、事なきを得たお母さん。
あのようなお医者さんになって、病弱な人の面倒をみたい
と、子供ながらに思ったのが、日野原さんが医師を志す動機になりました。
◆6人兄弟の次男
日野原重明さんは、6人兄弟の次男。
明治の年号にちなみ、兄弟全員の名前に「明」の字が入っているそうです。
1歳上にはお姉さんがいましたが、負けん気が強い日野原少年は、1歳上の姉を追い抜いてやろうと考えます。
小学1年の時に、本来なら2年で習うひらがなをすべて覚え、毎朝の聖書の輪読は、お姉さんより先にできるようになりました。
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