コメンテーターとしてテレビでも活躍する落語家、立川志らくさん。
今回は、そんな志らくさんの『家族』の物語です。
名 前:立川志らく(たてかわ・しらく)
本 名:新間一弘(しんま・かずひろ)
生年月日:1963年〈昭和38年〉8月16日
身 長:168cm
血液型 :O型
◆実家は東京・世田谷
立川志らくさんは、東京都世田谷区梅ヶ丘の出身。
当時の梅ヶ丘は、現在のような高級住宅地ではなく、長屋の集落があり、屑屋さんがいて、畑がある風景でした。
祖父の名前は深谷伊三郎(ふかや・いさぶろう)さん。[1]
祖父は「お灸の神様」と呼ばれる鍼灸師で、渋谷で鍼灸院を開業していました。
祖父のことを知る鍼灸師は、志らくさんに、
今からでも遅くないから落語家なんか辞めてお灸の仕事をやってください
と、真顔で話すのだそうです。
◆父親はギタリスト
立川志らくさんの父親の名前は、新間英雄さん。[1]
父・英雄さんはクラシックのギタリストで、「日本五大ギタリスト」と呼ばれていたそうです。
お祖父さんと苗字が違うのは、母親の実家の婿養子に入ったからでした。
◆母親は長唄の師匠
立川志らくさんの母親は、静岡・浜松の、裕福な女系家族の末っ子でした。
お母さんは長唄の師匠もしており、志らくさんは幼い頃より、ギターと三味線が響く家庭で育ちました。
そのおかげで、
音楽を聞き分ける耳がある
という志らくさん。
しかし、楽器を演奏することには、それほど興味を示しませんでした。
◆弟もギタリスト
志らくさんの代わりに音楽に興味を示したのが、弟の新間清登(しんま・きよと)さん。[2]
1966年生まれなので、志らくさんより3歳年下になります。
幼い頃からヴァイオリンを学び、高校在学中にギターに転向。
和光大学芸術学科時代には、ギターサークル「FRET’S」を創設し、ギターに明け暮れました。
大学卒業後は、父・新間英雄さんのサイドギターとして活動するかたわら、あらゆるジャンルのギターを研究。
現在はギターを中心に、作曲、CD制作、ソロライブ、絵画制作と幅広く活躍しています。
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