モデルやタレントとして活躍する、神田うのさん。
今回は、そんな神田うのさんを育んだ家族にスポットを当ててご紹介したいと思います。
◆父親の職業は?
神田うのさんの父親の名前は、神田淳(かんだ・すなお)さん。
父・淳さんは、大分県出身で、大分県立佐伯鶴城高等学校、東京大学工学部、東大大学院へと進み、旧通産省に入省しました。
海外転勤も多く、うのさんが1歳の時にはインドネシアのジャカルタに赴任し、うのさんも3年間はジャカルタで過ごしています。
資源エネルギー庁にも在籍し、1979年の米スリーマイル島原発事故や、1986年のチェルノブイリ原発事故の際は、原発安全技術の中心人物として、安全政策をまとめ上げることに尽力されたそうです。
退官後は京葉ガスで常務取締役を勤め、その後、高知工科大学の客員教授や、東海大学大学院、前橋工科大学などでもエネルギー論の講義を行っています。
ちなみに歴史好きでもあり、本名である「うの」さんの名前は、持統(じとう)天皇の幼名
鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)
から、お父さんが名づけました。
◆母親はフィリピン人?
神田うのさんのお母さんは、お父さんと同じ大分県立佐伯鶴城高等学校を卒業しており、高校時代にお父さんと出会ったのだと思われます。
うのさんと仲が良く、一緒に買い物に行く様子などがブログに紹介されていますが、2015年にうのさんが盗難被害にあった時は、お母さんもショックで突発性難聴になってしまいました。
ネット上では、
お母さんがフィリピン人ではないか?
という噂があり、うのさんの日本人離れした容姿などから出たのでしょうが、上記の経歴からあり得ないと思います。
◆長弟・神田伸一郎
神田うのさんには、2人の弟がいます。
上の弟の名前は神田伸一郎(かんだ・しんいちろう)さん。
1977年3月12日生まれなので、うのさんより2歳年下になります。
伸一郎さんは、桐光学園高等学校を卒業後、東京農工大学の農学部応用生物化学科へ進学。
「爆笑オンエアバトル」を見てお笑いに目覚め、2000年1月、大学の柔道部の後輩であった浜谷健司さんを誘い、漫才コンビ「ハマカーン」を結成しました。
大学院に進み生物制御化学を研究していたのですが、ハマカーン結成に伴い中退しています。
しばらくは売れない日々が続きましたが、うのさんからライブの度に10万円の小遣いをもらっていました。
高所得者専用のプラチナカードも渡されるなど、若手芸人らしからぬ下積み時代を送っています。
徐々に実力をつけ、2012年のTHE MANZAIで優勝し、現在では第1線のお笑いコンビとして活躍しています。
◆次弟・神田昇二郎
神田うのさんの下の弟の名前は、神田昇二郎さん。
1980年2月7日生まれなので、うのさんより5歳年下になります。
学歴は上智大学卒で哲学を専攻しており、在学中に短期間、芸能活動をしていた時期もありました。
現在は、福岡の親族の会社で仕事をしているそうです。
◆夫・西村拓郎
神田うのさんは、2007年に結婚しています。
夫の名前は、西村拓郎(にしむら・たくろう)さん。
1969年12月17日生まれなので、うのさんより6歳(5学年)年上になります。
夫・拓郎さんは、大手パチンコチェーン「日拓」グループの総帥。
かつてはプロ野球球団を所有し、現在の年商は1600億円を超えるという大手企業グループです。
夫・拓郎さんには、
韓国出身ではないか?
という噂があります。
パチンコ関係者に在日の方が多い事が噂の理由だと思いますが、西村さんのお父さんは旧国家地方警察に務める日本人でした。
旦那さんはかなりイビキが大きく、隣で眠れないうのさんを気遣い、口蓋垂(こうがいすい)を切除する手術を受けたそうです。
◆一人娘
神田うのさんの一人娘は、2011年10月22日生まれです。
うのさんは、愛娘について、顔写真や名前は公表しない方針をとっています。

なぜかネット上では「咲良(さら)」ちゃんという名前が公表されていますが…
2015年、娘の面倒を見るベビーシッターが、2000万円相当の横領をしていたという事件が発覚しました。
60歳の元ベビーシッターの女性は、娘さんには優しかったという事で、そこは不幸中の幸いでした。
この事件、娘さんも傷ついていますが、
ママの物を勝手に持って行ったらダメだよね!
と言ってうのさんを慰めてくれるそうで、優しい女の子のようですね。
◆まとめ
これまで見てきた通り、神田うのさんの家はとてもセレブであり、世間から嫉妬や羨望の視線があると思います。
しかし、うのさんの恵まれた生活は、天から舞い降りたものではなく、本人や家族が努力や苦労を重ねた結果として、手に入れているものなのです。
私たちも、神田うのファミリーの姿勢を見習い、努力を重ね、成功をつかみたいですね。
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