2016年4月28日、元朝日新聞主筆の若宮啓文さんが、訪問先の北京市内で亡くなりました。
今回は、在りし日の若宮さんを育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家・父親の職業は?
若宮啓文さんの父親の名前は、若宮小太郎さん。
父・小太郎さんの職業は、元・朝日新聞政治部記者で、後に鳩山一郎首相の秘書官に転じています。
実は、父・小太郎さんは、1956年に旧ソ連との間で結ばれた「日ソ共同宣言」の立役者。
社会の教科書でおなじみのこの条約は、日本が戦後、国際社会へ復帰し、国連に加盟するために必要不可欠なものでした。
時の鳩山総理のモスクワでの交渉に、秘書官として同行した父・小太郎さんは、緊迫した7日間を日記として残します。
そこには、命がけともいえる交渉と、その合間に見えるユーモラスなエピソードが綴られていました。
まずは、首相や父らの宿泊施設。
もともと日本側は、ソビエツカヤ・ホテルを予約しますが、ソ連政府は厚意で迎賓館を用意。
まるで国賓待遇だ。本当はキュークツで有り難迷惑の感もなくはないが、それでも厚意はうれしい
とお父さんは感想を綴りました(#^^#)
ソ連側が主催した昼食会がクレムリン宮殿で開かれましたが、
やたらにウイスキー、ウオッカ等をついでカンパイ、カンパイとやる
ものだったそう。
出席した河野一郎農相(当時)はお酒が飲めなかったため、
小生が代わりに飲んでやった
実は、お父さんもお酒に強くなかったため、潰れる覚悟だったそうです(゚д゚)!
鳩山首相主催の答礼昼食会では、フルシチョフ第一書記やブルガーニン首相らソ連の要人が勢揃いします。
お父さんの日記には
日本酒を出してやった
とあり、お酒のお返しも「してやったり」・・・ということなのでしょう(^^;)
2006年12月、若宮啓文さんは、父・小太郎さんの日記に触れ
40年ほど前に他界した父
と語っています。
ということは、日ソ共同宣言のわずか10年後には、亡くなられたということになります。
◆母親の名前は?
若宮啓文さんの母親の名前は、若宮繁子さん。
前述の小太郎さんの日記は、長くお母さんが保管していたのだそうです。
没後、40年の時を経て、歴史的にも貴重な文献が日の目を見たのは、お母さんの英断だったのでしょうか。
◆兄弟はいる?
若宮啓文さんは次男であったので、お兄さんがいることになりますが、詳細は不明です。
◆結婚して妻や息子がいる?
若宮啓文さんの結婚や奥さんに関する情報はありません。
若宮さんが朝日新聞時代の2008年。
中国に出張する際に女性秘書を同行させ、会社の経費でビジネスクラス&高級ホテルを利用したという事実が、後に報道されたことがあります。
この女性は、若宮さんが急な葬式に出かけるときなどは、いそいそとネクタイを締めてあげるような、いわゆる「職場妻」だったそうです。
逆を言うと、この時「不倫」とは報道されていないので、実は結婚されていないのかもしれません。
若宮さんを調べると「息子」というキーワードが登場しますが、結婚していなければ息子さんもいないことになります。
◆まとめ
これまで見てきた通り、若宮啓文さんの活躍の陰には、温かく偉大な『家族』の姿がありました。
若宮さんが心血を注いだ中韓との懸け橋は、必ずや後世に引き継がれていくことでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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