田中裕二の『家族』~妻・山口もえと3人の子供たち…実家の両親と兄弟について

お笑いコンビ・爆笑問題の田中裕二さん。

今回は、そんな田中さんを取り巻く『家族』の物語です。

名  前:田中裕二(たなか・ゆうじ)
生年月日:1965年〈昭和40年〉1月10日
身  長:153.5cm
血液型 :B型
家族構成:妻、長女、長男、次女
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◆父親の職業は?

田中裕二さんのお父さんの名前は、田中正直さん。

お父さんは、自動制御機器の鷺宮製作所に勤め、高度経済成長期のサラリーマンとして、朝から晩まで働きました。

鷺宮製作所は、池井戸潤さんの小説ルーズヴェルト・ゲームの舞台となった「青島製作所」のモデルとされています。

会社では、水質汚染や大気汚染の主任技術者であったため、在職中から環境問題について、深く考えるようになっていました。

そんなお父さんは、退職後の1996年、残りの人生を地球環境のために尽力しようと決意をします。

しかし、当時の環境団体は、今よりも政治色が強く、馴染めなかったため、自らが仲間とともに環境NGOを立ち上げようと考えました。

そして、知り合いを片っ端から誘ってみましたが、ことごとく断られます。

ならば自分ひとりでNGOを立ち上げようと、1997年、「人類生き残り研究会」を発足しました。

「人類生き残り研究会」の行動基準は、

人類生き残りに(自然環境に)プラスになる方がマイナスになる方より多い方を善とし行動する

だそうです。

一人ぼっちで始めた環境活動でしたが、各方面から注目を集めるようになり、現在では会員数300のNGO団体へと成長しました。

ちなみに、田中裕二さんは、このことには深く立ち入らないようにしているのだそうです(^^;)

お父さんは現在、少し認知症が入っているそうなので、家族は大変だと思いますが、田中さんはその事もユーモアを交えて話します。

とかく、認知症に対しては深刻になりがちですが、少し余裕を持って接するくらいが、良いのかもしれませんね。

◆箱入り娘の母親

田中裕二さんのお母さんは、歯科医師の娘で、箱入り娘として育ち、一度も外で働くことなく、専業主婦を通しました。

そのためか、良い感じで力が抜け、楽観的なお母さんだったようです。

田中さんは、受験生時代、早稲田の教育学部を志望しており、受験前夜に友達に、

明日の待ち合わせどうする?

と電話をします。

すると、友達は答えます。

受験終わったし、何して遊ぼうか?

何と、田中さんは試験日を1日勘違いしていたのです。

電話を切り、慌ててお母さんに報告しますが、お母さんは「何やってんの」と笑い飛ばしてくれたため、田中さんは救われます。

浪人中もお母さんは、おっとりマイペースであり、

「勉強しなさい」「何がなんでも合格しなさい」

と厳しく言うことは、一切ありませんでした。

そのおかげで、田中さんは日大の芸術学部演劇学科に合格し、そこで、人生の相方となる太田光おおた・ひかり)さんと運命の出会いを果たします。

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ある意味お母さんは、爆笑問題の生みの親でもあるのです。

◆兄の職業は?

田中裕二さんのお兄さんの名前は、田中啓一さん。

1955年生まれなので、田中さんより10歳年上になります。

お兄さんは、東海大学の工学部を卒業後、お父さんと同じ「鷺宮製作所」に入社し、エンジニアとして勤務しました。

しかし3年後、一念発起して文化服装学院のアパレルデザイン科に入学。

卒業後はニコルに入社し、デザイナーとしての道を歩み始めました。

その後、コムデギャルソンを経て、現在は自ら立ち上げたブランド「KONTRAPUNKT(コントラプンクト)」のデザイナーを務めています。

エンジニアからデザイナーへ転身という異色の経歴ですが、お兄さんは次のように語っています。

服を作るのにも工学的なセンスが必要で、大学で学んだ知識は決して無駄ではなかった

◆姉の職業は?

田中裕二さんのお姉さんは3歳年上で、名前は田中里美さん。

何とお姉さんもデザイナーで、「アツキオオニシ」や「ピンクハウス」を手がけているのだそうです。

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