ロシアW杯では本田圭佑選手の招集に一番積極的だったのが、元日本代表で、鹿島アントラーズのレジェンドプレーヤーでもある、秋田豊氏です。
日刊スポーツのコラムでも、度々日本の戦術に対してリアリティのあるコメントを寄稿しています。
サッカー中継でも、選手の特徴を把握した解説が視聴者にも分かりやすいと人気。
今回は秋田豊氏の『家族』についてまとめていきます。
【本人プロフィール】
氏名:秋田豊(あきた・ゆたか)
生年月日:1970年8月6日(47歳)※2018年6月
出身地:愛知県名古屋市
身長/体重:180cm/78Kg
現役時代所属チーム:
鹿島アントラーズ(J1:1993-2003)
→名古屋グランパス(J1:2004-2006)
→京都サンガF.C.(J2:2007)
監督時代指揮チーム:
京都サンガF.C.(J2:2010)
→町田ゼルビア(J2:2012-2013)
◆家族構成
秋田豊氏には、ご両親と夫人、そして息子さんが二人と娘さんが一人いらっしゃいます。
お父さんは元警察官だったそうで、そのつてで、警察署の一日署長も経験されています。
父親と奥様の情報はあまり公開されていませんでしたので、今回は秋田豊氏の現役時代から監督時代に至るまでのエピソードと子供たちについてご紹介します。
◆世界に通用するJリーガーだった!
秋田豊氏の現役時代は、常勝鹿島アントラーズのDFの一角として、その頭角を現してきました。
ディフェンシブなスタイルと、闘争心をむき出しにするプレースタイル。
初出場だったフランスW杯では、当時アルゼンチンのエースストライカーだったガブリエル・バティストゥータ選手を封じ込めるなど、世界に通用するDFとして名声を高めます。
W杯後は鹿島アントラーズのJリーグ優勝に、幾度も貢献しました。
日韓W杯においては、当時の監督フィリッップ・トルシエから、
“チームをまとめるためにベテランが必要”
という理由でサプライズ招集を果たしました。
日韓大会では、ピッチに立つことはありませんでしたが、W杯の日本初勝利や、初の16強進出を支える精神的支柱として日本代表に貢献しました。
◆移籍そして引退へ
秋田豊選手は、2003年に鹿島アントラーズから名古屋グランパスに移籍をします。
移籍1年目からレギュラーとして、古巣鹿島アントラーズ相手にも引けを取らない強固な守備で活躍しました。
2006年には、後に監督として戻ってくることになる京都サンガF.C.へ移籍し、京都を最後に引退しています。
引退の際には、マスコミに対しても引退表明をしていたにも関わらず、当時FC琉球を率いていた元日本代表監督フィリップ・トルシエから現役復帰オファーが…
結局、引退を貫き、2008年からは京都サンガF.C.のトップコーチを務めました。
2009年にはS級ライセンスを取得し、2010年には京都サンガF.C.の監督に就任。
その後、東京ヴェルディのコーチなどを歴任した後に、J2に昇格した町田ゼルビアも監督として率いています。
その後はサッカー解説者などをしながら、現在は本田圭佑選手が出資している『SOLTILO FC』というチームのユースとジュニア世代のスーパーアドバイザーに就任。
未来の日本代表の育成に力を注ぐ一方で、トレーニング器具販売の『サンクト・ジャパン』という会社を立ち上げ、社長としての一面もあります。
◆ペレから学んだ子供の育て方
秋田豊氏には3人の子供がいます。
名前は長男・武蔵(むさし)さん、次男・豊之介(とよのすけ)さん、そして長女のさくらさんです。
息子さんとのエピソードについて、秋田さんが映画の試写会で語ったことがありました。
映画は伝説のストライカーである元ブラジル代表のペレ氏の自伝映画だったのですが、その中でペレ氏とペレ氏の父親とのシーンがあったようです。
その中でペレ氏の父親は、そっと背中を押すようにペレ氏にサッカーをすすめてあげていました。
秋田氏はそのシーンを見て、
“ペレの父親のように、子どもが自分の意思でサッカーをしたいと思えるように仕向けてあげるべきだった”
と語っていました。
自身の子育てを振り返って
“ペレのお父さんの接し方はいいですよね。サッカーから離れようとする一方で、本心では大好きなサッカーがしたくてたまらないペレ少年の背中をそっと押すようにリフティングを教えてあげる。でも、ぼくのやりかたは間違っていた”
と自戒の念も口にしています。
自分の子供に対しては、強制的にリフティングを嫌々ながらもやらせていたそうです。
プレー同様にスパルタ教育だったのですね。
現在はユース世代やジュニア世代の子供たちにサッカーを教えている立場として、目からうろこが落ちるような気づきを見つけたと話していました。
現在、息子さんはサッカーをやっていませんが、きっと父親のスパルタ教育の影響で、立派な社会人になっていることでしょう。
◆まとめ
ロシアW杯では、時に辛辣な意見を述べることも多い秋田豊氏。
熱い思いで将来のパリオリンピック世代や、バーレーンW杯以降の世代の子供たちにサッカーを教えている姿は、まさに闘将です。
秋田チルドレンと呼ばれる世代が活躍することを楽しみにしています。
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