東京オリンピック、カタールW杯で、サッカー日本代表の監督をつとめた、森保一さん。
ポイチと呼ばれてます!
今回は、そんなポイチさんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1968年〈昭和43年〉8月23日
身 長:174cm
出身地 :長崎県長崎市
家族構成:①実 家…父親、母親、弟
②独立後…妻、長男、次男、三男
◆実家・生い立ち
森保一さんは、静岡県掛川市で生まれました。
幼少期から愛知県名古屋市、神奈川県横須賀市、佐賀県唐津市と転居繰り返し、小学1年生から長崎県長崎市に定住しています。
小学校は、長崎市立深堀小学校へ通いました。[1]
森保さんが本格的にサッカーを始めたのは、意外にも遅く、小学校6年生の時。
5年の時に、隣町にある土井首サッカークラブの練習に誘われたのがきっかけでした。
小6の夏、経験が浅かった森保さんは、補欠GKとして地区大会に参加しますが、起用された試合で好セーブを連発。
土井首SCは全国大会にも出場し、森保さんもGKとして出場を果たしています。
中学校は、長崎市立深堀中学校へ進学。[1]
1年生のときは深堀中にサッカー部がなかったため、土井首中の練習に参加しました。
2年生からサッカー部が創部されると、次々と大会で優勝します。
森保さんには、長崎日本大学高等学校から特待生で誘いがくるまでに成長しました。[2]
長崎日大では、攻撃的なMFとして山梨国体選抜に選出。
しかし、当時の長崎県は、国見高校と島原商業が全盛期の時代であり、インターハイや選手権などの全国大会には出場していません。
昔の強豪国見高校がある、長崎県のサッカー大会のトーナメントにはスーパーシードなるものがあり、国見高校はいきなり決勝戦だったみたいですよ。
理由はインターハイの時に長崎県は2枠あり、序盤に国見に当たるとほぼ出れなくなるためだそうです。 pic.twitter.com/yzmG7IVod3— タキオン (@osamu_lap) August 3, 2020
無名ともいえる森保さんが、どうしてプロ選手になれたのか?
実は、長崎日大の下田規貴(しもだ・きよし)監督は、日本サッカーリーグ・マツダ(現サンフレッチェ広島)の今西和男(いまにし・かずお)総監督と旧知の仲でした。
下田さんが、今西さんに向けて、
将来モノになるかもしれない子がいるので、指導に来てくれませんか?
と、年賀状に書いたことが、森保さんの運命を大きく変えます。
今西さんは、チームのコーチだったハンス・オフト氏を伴って、広島から長崎へと足を運びました。
“ルック・アラウンド”が徹底できていて、運動量も豊富だった
今西さんは、オフトさんと話して、獲得を決めます。
こうして、森保さんはマツダに加入し、Jリーグ発足後はサンフレッチェ広島とプロ契約。
オフト氏が日本代表監督に就任すると、代表メンバーにも選ばれたのでした。
ことポイチ オフトの申し子 #森保一
オランダ人のハンス・オフト当時44歳※ラモスとカズを「牛耳る」ため呼ばれたオフト pic.twitter.com/eVyzTDQbsf
— 🍀 🗽 🕊 (@2nd_acct_) July 24, 2022
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