宮本恒靖の『家族』~お嫁さんは生野高校の先輩…子供は2人、息子と娘

長きにわたり日本代表のキャプテンをつとめた、宮本恒靖さん。

今回は、そんな宮本さんの『家族』についてまとめていきます。

【本人プロフィール】
名前:宮本恒靖(みやもと・つねやす)
生年月日:1977年2月7日
年齢:41歳 ※2018年6月
出身地:大阪府富田林市
身長/体重:176cm/72kg

スポンサーリンク

◆家族構成

宮本恒靖さんの実家の家族は、両親と3歳年上のお姉さんがいます。

宮本さん自身にも奥さんと2人の子供がいます。

宮本さんのお姉さんの情報があまりないため、今回は奥様と子供たち、そして両親についてまとめていきます。

◆お嫁さんは生野高校の先輩

宮本さんのお嫁さんの名前は光子さん。

宮本さんの生野高校時代の先輩だったようですね。

ネット上に色々な噂が流れていますが、一般人のようです。

噂の中では、「元モデル」や「社長令嬢」といったような情報がありますが、その情報の裏付けが宮本さんの口から発せられたことが無いため、あまり信憑性はありません。

元プロテニス選手のクルム伊達公子さん夫妻(こちらも元ですが)と宮本夫妻が一緒に写っている写真がありますね。

清楚な印象の綺麗な奥様です。

◆息子と娘に対する教育方針とは?

宮本恒靖さんの子供は二人、長男の恒凛(こうりん)君と長女の馨子(かおるこ)ちゃんです。

娘さんのお顔は公開されていませんが、息子・恒凛君は、宮本さんの引退試合の時に一緒にピッチでセレモニーを受けています。

お父さんというよりも、お母さんの光子さんに似たイケメンです。

将来の夢はサッカー選手になることだそうですが、この息子の夢に対して宮本さんは以下のような発言をしています。

“僕は〝サッカーが上手くなりたい〞〝トップでプレーするにはどうしたらいいか〞ということを常に考えていて、その連続の中でプロになることができた。

僕が息子に望んだところで、彼が積極的にそう考えなければ伸びることはできない。積極的になれて集中できるものがサッカーなのであれば頑張って欲しいし、もちろんそれがサッカーじゃなくてもいい。

これから出会ういろいろな対象から、何かひとつを見つけて、それに集中してくれればいいと思っています。もちろんそれが野球だったら〝なんで?〞って思うかもしれませんが(笑)”

本心ではサッカーを選んでくれたことを喜んでいるみたいですね。

しかし、無理に勧めるのではなく、自身の経験を踏まえて、本当に「やりたい」と思ったことに集中して取り組ませることを教育方針としているようです。

戦術眼に優れていた現役時代から考えると、メンタル、とくに集中力に関しては理論どうこうよりも精神的な強さが重要だということを遠回しに教えているのかも知れません。

◆実家は大阪・富田林

宮本恒靖さんは、大阪府富田林市の出身。

サッカーを始めたのは、富田林市立伏山台小学校5年生のときです。

サッカーを始めるまでは、地区の少年ソフトボールをしていました!

中学校は、富田林市立金剛中学校に進学。

サッカーを始めてからわずか3年後の中学2年生で、「第14回全日本選抜中学生大会」と「日本ジュニアユース代表候補」の合宿に招集されています。

ちなみに中学校2年生の時は「大阪府英語暗唱大会」でも優勝しています。

高校は、偏差値70を超える大阪府立生野高等学校へ進学。

私も生野高校です!
吉村洋文の【家族】~元CAお嫁さんとの間に子供が3人…実家の両親と兄について
第20代の大阪府知事をつとめる、吉村洋文さん。 府知事の前は、大阪市長でした! 今回は、そんな吉村さんを支える、お嫁さんや子供たちにスポットを当て、ご紹介します。 名  前:吉村洋文(よしむら・ひろふみ) 生年月日:1975年〈昭和50年〉...

高校時代はガンバ大阪ユースに所属し、上級生がいなかったため初代キャプテンに就任。

ユースチーム卒業までの3年間、キャプテンを務めました。

1995年3月に高校を卒業し、同志社大学経済学部へ進学。

直後の1995年6月、ガンバ大阪のトップチームにクラブで初めて昇格しました。

◆父親の職業は?

外見から知的な雰囲気が見て取れる宮本恒靖さんですが、血は争えないのかも知れません。

父親の宮本恒明さんは東大卒で、関西電力の取締役を歴任。

その後、造幣局幹事を経て、現在は関西電気保安協会の理事長を務めていらっしゃいます。

◆母親は英語教師?

宮本恒靖さんの母親の弘子さんは、英語教師を務めたあと、大阪府や堺市の教育委員会の幹部を務めていました。

講演会なども行っています。

小さい頃から英語を話せたという宮本さんは、ガンバ大阪からオーストリアのチームに移籍します。

その際には言葉の問題は一切なかったそうです。

ちなみに、オーストリアのチームメイトには、ニコ・コヴァチ氏がいました。

現日本代表の長谷部誠選手が所属しているドイツのフランクフルトで監督を務めている人物です。

コヴァチ監督は長谷部選手に対して、

“君は宮本に似ている。今の日本を引っ張るアイコンは君だ!”

と太鼓判を押しています。

宮本さんが培ってきたキャリアは、今の日本代表を支える礎になっているのかも知れませんね。

◆まとめ

ドイツW杯以前の日本代表戦士がどんどんと監督やコーチなどになる中、一番早く監督のライセンスを獲得したのが、宮本恒靖さんでした。

現在はJ3のガンバ大阪U23を指揮しながら、解説業をしています。

いずれは、日本代表を率いて「宮本JAPAN」が誕生する日も近いかも知れませんね。

コメント

TOPページ(新着記事、人気記事、人気カテゴリー)

タイトルとURLをコピーしました