17年間逃亡を続けた、オウム真理教の菊地直子被告に「無罪」判決が出て、注目を集めています。
今回は、そんな菊地被告を取り巻く『家族』にスポットを当てご紹介します。
◆幼少期は転居を繰り返す
菊地直子被告は、1971年12月9日生まれで、現在(2015年)43歳です。
埼玉県草加市の生まれですが、父親の仕事の都合で転居を繰り返し、小学生の時に大阪に居を構えました。
偏差値70を超える大阪教育大学附属天王寺中学校を経て、附属高校天王寺校舎に進みますが、高校3年生の時にオウム真理教に入信。
オウム真理教では、特技の陸上競技を活かしてマラソン大会に出場する傍ら、爆発物原料の運搬役を担ったことから、「走る爆弾娘」と呼ばれました。
1995年3月に発生した地下鉄サリン事件に関与したとして特別手配され、17年間の逃亡生活を送りましたが、2012年6月に逮捕。
同じく1995年に発生した「東京都庁小包爆弾事件」について、殺人未遂罪などに問われ、1審で懲役5年を言い渡されていました。
◆父親は大学教授?
菊地直子被告の父親の職業は、大学教員とされています。
大学教員とは、大学で学生に対する指導や研究を行う職務であり、教授・准教授・助教・助手・講師などの職階に分かれています。
菊地被告は幼少時に転居を繰り返していますが、研究者が、引き抜きやステップアップで大学間を渡り歩くことは、よくあることです。
教育者という特性もあったのでしょう、父親は大変厳格で教育熱心であり、菊地被告も高偏差値の中学・高校へ進学しています。
◆母親について
菊地直子被告の母親に関する情報は、あまりありません。
しかし、菊地被告が逮捕されたときに出された両親のコメント(後述)では、より母親からの目線で書かれた印象を受けます。
◆弟は京大医学部の医者?
菊地直子被告には弟がいますが、菊地被告の出家当時は有名進学校に通っており、後に国立大学の医学部に進学しています。
週刊新潮によると、国立大学とは「京都大学」であり、菊地家の頭脳の優秀さを象徴していると思います。
◆まとめ
菊地直子被告は、起訴事件の高裁判決としては「無罪」となりましたが、オウム真理教の一員としての行動に罪がなかったとは言えません。
最後に、犯罪集団の一員を育んでしまった家族のコメントをご紹介し、今回の家族の話は終わりとしたいと思います。
娘、直子が多くの皆様に大変なご迷惑をおかけしました。
長く逃げていて社会に不安を与えました。
親として、被害者・遺族の方々に、深く深くおわび申し上げます。
私どもなりに、直子をオウム真理教と引き離そうとしてきましたが果たせず、1990年の出家後は全く連絡が取れず、このようなこととなってしまい、親としての力の無さに愕然(がくぜん)とするばかりです。娘直子へ。
あの時、直子の気持ちを分かってやれず、ごめんなさい。
あの時は、何をどうしたら良いか分からなかった。
直子、生きていてくれて、本当にありがとう。
ぐっすりと眠って、疲れを取って下さい。
今日、高橋克也も逮捕されたと聞きました。
直子、オウム真理教は理想郷を作れず、作りませんでした。
もう分かっていると思います。
オウム真理教はとてもひどいことをしました。
直子、ご遺族や友人はもう殺された人に会えないんです。
被害者は生きていたかったんです。
直子はそのオウム真理教の一員だったんです。
どうか、事実を直視していってください。
直子、あなたに会いたい気持ちで一杯です。
皆さまには申し訳ないことですが、娘に会いたい気持ちであることをどうかお許しください。
ここに改めて皆様に深くおわびし、また直子に伝えます。2012年6月15日
菊地直子 父 母
◇編集後記
オウム真理教、最大にして最悪の事件は、1995年に発生した地下鉄サリン事件。
東京都内の地下鉄3路線で同時にサリンを撒き、13人の死者と、6300人もの負傷者を出しました。
事件から20年以上経過し、今ではネットで、防毒ガスマスクが買える時代となりました。
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思ったほど高くはないのですね。
サリンにもしっかり対応しているようです。
東京五輪を狙ったテロに備えて、検討すべきなのでしょうか?
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