かつてオウム真理教のスポークスマンを務め、“ああいえば上祐”のフレーズで有名な、上祐史浩氏。
今回は、そんな上祐氏を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
名前:上祐史浩(じょうゆう・ふみひろ)
生年月日:1962年12月17日(55歳)※2018年7月現在
教団での地位:正大師
◆都沢和子と結婚できた?
上祐史浩氏は大学時代、都沢和子さんと知り合い、交際を始めました。
その後、上祐氏がオウム真理教へ入信すると、和子さんも後を追って出家します。
しかし、都沢和子さんは麻原彰晃にとられ、麻原の愛人となってしまいました。
上祐氏は、尊師のものになっていく和子さんを恨めしく思ったりもしましたが、
“尊師のマハームドラー(試練)だ…”
と認識することで乗り越えられたといいます。
結局、上祐氏と都沢和子さんが結婚することはありませんでした。
上祐氏は50歳を超えた現在も、独身を貫いています。
◆父親の職業は?
上祐史浩氏の父親は、九州で銀行に勤めていました。
やがて、父親が東京の貿易会社に転職し、一家で上京しましたが、父親の女性問題によって両親が別居。
上祐氏はその後、母と2人で暮らしてきました。
この経験により父親への尊敬の気持ちが薄くなり、代わりに強い指導者を求めるようになったという上祐氏。
次第に怪しい宗教へと足を踏み入れていきました。
◆母子家庭で育んだ母の愛
上祐史浩氏の母親は、元々教職についていました。
父親と別居してからは、女手一つで上祐氏を育ててくれたお母さん。
上祐氏も父親不在ではあっても、学力が優れていたため学校では認められ、いわゆる勝ち組でした。
上祐氏の学歴は、早稲田大学高等学院、早稲田大学理工学部を経て、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了という、勝ち組のもの。
加えて卒業後は、理系男子の憧れ、JAXA(宇宙開発事業団)に就職しています。
しかし、JAXAを1ヶ月で退社し、オウムへ出家した後は、母親とは音信不通となったことでしょう。
オウムの上級幹部として世間を騒がせる上祐氏のことを、母親はどんな思いで見ていたのでしょうか?
上祐氏は2013年、「オウム事件 17年目の告白」を刊行しました。
本を出版する少し前には、母親との再会を果たしています。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、上祐史浩氏の人生の陰には、支えてくれた『家族』の姿もありました。
これから上祐氏は、一体誰のために、一体どこへ向かっていくのでしょうか?
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