報道ステーションのキャスターをつとめる、テレビ朝日の富川悠太アナウンサー。
暴れん坊将軍の大ファンです!
今回は、そんな富川アナのお嫁さんや子供、いとこにスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1976年〈昭和51年〉9月3日
血液型:A型
出身地:愛知県名古屋市
最終学歴:横浜国立大学教育学部
◆お嫁さんのエピソード
富川悠太アナウンサーは、入社7年目の2006年11月に、一般人の女性と結婚しています。[1]
結婚から約2年2ヶ月前に知り合い、1年半ほどの遠距離恋愛を実らせてのゴールインでした。
お嫁さんの実家は広島県のようなので、広島と東京との遠距離恋愛だったのかもしれませんね。
2009年に家族旅行で、奈良県の東大寺を訪れた時のこと。
大仏様の鼻の穴と同じ大きさと言われる、大仏殿の柱の穴を通ると、ご利益があると言われています。
穴の大きさは、高さ30cm、幅37cm、長さ120cmなので、通常は、子供が遊び感覚で通り抜けています。
しかし、なぜかお嫁さんも必死にくぐり抜け、周囲の人に
大人でもくぐれますよ!
とはしゃいでいたそうです。
お嫁さんは無邪気であるとともに、スリムな方でもあるようですね(#^^#)
◆子供の名前
①子供の名前
富川悠太アナウンサーは、2人の子宝に恵まれています。
長男の名前は立夢(りずむ)くん。[2]
結婚した翌年の、2007年10月23日に生まれています。
10月23日に生まれたのは、1023(いいお兄さん)になる運命だったのかもしれません。
2011年5月28日には、4歳年下になる弟・奏(かなで)くんが誕生しました。[3]
2人の名前には、
リズムを奏でるように…
という願いが込められています。
富川アナもお嫁さんも、音楽が好きなのでしょうね。
#富川悠太 さんの長男・立夢くんです(↓)https://t.co/Es2y1mN6Ya
『富川悠太アナ来店!』
⇒ https://t.co/kivcU6TZhc #アメブロ @ameba_officialより— カゲロウ (@Kagerou_Kazoku) February 25, 2022
②子供との生活
キャスターを務める『報道ステーション』を終えて、帰宅するのは早くても深夜1時や2時。
富川アナが帰ったときには、2人はもう寝ていますが、帰宅したら、まず子供の寝顔を見るようにしています。
布団をかけ直して、ほっぺにチュッとしたり、頭をなでて、
大好きだよ💛
と、耳元でささやいたりしているそうです。
富川アナにとって、子供たちの寝顔を見るのが、成長を確認する時間なのです。
土日で休みのときは、子供たちが好きなラーメンを作ったり、バドミントンをして遊んだりします。
平日に会えない分、できるだけ一緒に楽しむ時間をつくるようにしています。
◆いとこは難病のALS
富川悠太アナウンサーには従姉(いとこ)がいて、名前は富川睦美さん。
睦美さんはいつも笑顔で、周りからは「むっちゃん」と呼ばれ愛されていました。
富川アナより8歳年上の睦美さんは、富川アナが赤ちゃんの頃から可愛がってくれていたそうです。
そんな睦美さんは、40歳という若さで、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症しました。
ALSとは、重篤な筋肉の萎縮や筋力の低下をきたす神経変性疾患で、治療法はなく、平均的な寿命は発症後約3年と言われています。
最初は足がつったような感じから、その後左足が不自由になり、右足、左手、右手と次々と動かなくなっていきました。
自分の命に限りがあることを知った睦美さんが「生きる意味」として捉えたのは、テレビを通じて世の中に、
ALSを知ってもらう…
ということ。
その思いは、『笑顔の約束~難病ALSを生きる~』というドキュメンタリー番組となり、2014年12月にテレビ朝日で放送されました。
この番組は、日本民間放送連盟賞のテレビ教養部門で優秀賞を受賞しています。
◆実家は名古屋
富川悠太アナウンサーは、名古屋市名東区の生まれ。
小学校1年生の時に『ちびっこカラオケのど自慢』に出場し、最年少で優勝した経験があります。
その成功体験のためか、現在も趣味はカラオケです。
また、子供の頃はプロ野球選手に憧れ、高校時代は野球部に所属しています。
高校は、東京都立国立高等学校を卒業しているので、この頃、家族は東京に住んでいたのでしょうね。
野球部では副主将をつとめ、ポジションはショート。
当時はいわゆる「牛乳瓶の瓶底」のような黒縁眼鏡をかけていたそうです。
大学は、横浜国立大学教育学部に進学しますが、大学でも体育を専攻し、小学校の教員免許を取得しました。
大学生時代には、母校・国立高野球部の助監督も務めています。
◆父親はトヨタ勤務?
①父親はトヨタ勤務?
富川悠太アナウンサーの父親は、自動車メーカーに勤めていました。
名古屋出身で自動車メーカーといえば、トヨタ自動車で間違いないでしょう。
父親は仕事が忙しく、ほとんど家にいませんでしたが、休みの日は全力で触れ合ってくれました。
富川アナが高校まで野球をしていたのも、父親とよくキャッチボールをしたのがきっかけでした。
父親に勉強のことなどできつく言われたことはありませんが、唯一、中学2年のとき、1日14時間勉強する塾の合宿に行かされました。
渋々行ったのですが、おかげで成績がぐっと伸びて、偏差値74をほこる国立高校に合格しています。
国立高校は文武両道で通っていますが、
せっかく野球を続けてきたんだから、やめずに両立できる高校へ
という父の思いもあったのでしょう。
②父親の手紙
富川アナが大学進学するとき、父親は経済学部や商学部を薦めました。
自分と同じ仕事に就いてほしい…
という希望があったということなので、トヨタ自動車に入ってもらいたかったのでしょう。
しかし富川アナは決められた人生が嫌でした。
自分なりに真剣に考えて、好きなスポーツに携われるアナウンサーを目指そうと考えました。
富川アナの20歳の誕生日のときに、海外赴任中だった父親に手紙をもらいます。
そこには、
これからは自分で歩んで行くんだぞ
と書かれていました。
そうして、富川アナが選んだ道を応援してくれ、アナウンサーで入社が決まったときは誰よりも喜んでくれました。
富川アナは、
ここぞというときには父親が導いてくれたんだな
と思っています。
最近も母親とともに、
周りの人から(富川アナを)応援してもらったよ
という連絡がきます。
今も昔も、同じ気持ちで息子のことを応援してくれているのです。
◆まとめ
いとこを取り上げた「笑顔の約束~難病ALSを生きる~」は大きな反響を呼び、多くの方から励ましのメッセージが届きました。
反響を聞いた睦美さんは、顔をくしゃくしゃにして「よかったぁ~」と笑顔を見せています。
2014年8月21日、睦美さんは46歳という若さで亡くなりました。
人工呼吸器で生きながらえるという選択もありましたが、自らの意志でこれを拒否しています。
理由は
笑顔でいられなくなってしまう…
ということ。
睦美さんの勇気ある姿は、病気で苦しむ沢山の人々に、笑顔をもたらしてくれることでしょう。
◇編集後記
富川悠太アナウンサーが愛用する腕時計を探してみました。
これは、イタリアI.T.A製のガリアルド ヴェローチェですね。
富川アナは、他にもI.T.Aのオペラなどを愛用しています。
なんとなく国内メーカーの堅いイメージがありましたが、けっこうお洒落なんですね(^_-)
◇脚注
- 日刊スポーツ 2016年1月9日 報ステ古舘氏後任にテレ朝39歳富川悠太アナ昇格
- テレビ朝日アナウンサーズ 2009年10月21日 人生初の運動会
- livedoor NEWS 2016年4月12日 富川悠太アナ、「徹子の部屋」で子どもの名前明かす「立夢と奏」
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