2016年1月7日、元・阪神投手の安達智次郎(ともじろう)さんが、肝不全のため、41歳の若さで亡くなりました。
今回は、在りし日の安達選手を育み、支え続けた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆父親の職業は?
安達智次郎選手のお父さんの名前は、安達孝四郎さん。
安達投手の実家は靴関係の仕事をしていたということですから、お父さんの職業は、靴職人や靴店の経営者であったと思われます。
安達投手が中学時代、マウンドでピンチに陥ると、父・孝四郎さんは決まってスタンドで敬礼ポーズをとりました。
安達投手は、その姿を見つけると、不思議なくらい気持ちが落ち着いたそうです。
あのポーズを見ると、『恐れるな、ドーンと行け』という父からの合図のような気にさえなっていました
実は、安達投手は中3まで一塁手を務めていましたが、見学に来た村野工業高校の部長さんが「この子はピッチャーにすべきだ」と指摘します。
これがきっかけで、次の練習から投手へ転向するのですから、人生とは不思議なものですね。
この事に恩義を感じたお父さんの強い勧めで、安達投手は村野工業へ進み、甲子園でも活躍しました。
しかし、ドラフト1位で入団した阪神では、一軍登板がないまま、戦力外通告を受けます。
その日に電話をかけてきたお父さんの言葉を、安達選手は忘れられません。
よかったやないか。肉、買おて来い。今晩はみんなで、すき焼きや
その晩、お父さんはひたすら「鍋奉行」に徹してくれて、その味付けがやたら濃かったそうです。
野球のことは、おくびにも出されませんでした。
◆母親の名前は?
安達智次郎選手のお母さんの名前は、節子さん。
年齢は、77歳になります。
実は、安達投手は子供のころ小児がんを患わっていたという事ですから、お母さんは大変な思いで息子を育てた事でしょう。
一転、元気になってからプロ選手になるまで、安達投手の生活は野球一色になりましたが、朝早く起きて食事を作り、応援してくれました。
高校を選ぶ際、PLや天理などの強豪校からもお誘いがあり、お母さんの希望はこれらの高校だったそうです。
後年、母・節子さんについて、安達投手はこのように語っています。
裕福すぎず、貧乏すぎずのバランスで育ててもらったことに感謝しています
◆兄弟はいる?
安達智次郎選手にはお兄さんがいて、名前は伸一郎さん。
年齢は43歳なので、安達投手より2歳年上になります。
安達投手の訃報に接し、次のようにコメントしています。
見舞いには直前まで行っていました。(今の心境は)難しいです。覚悟はしていましたが、直面すると辛いですね
◆結婚して嫁がいる?
安達智次郎選手は結婚していましたが、あまりお嫁さんのエピソードはありませんでした。
ただ、引退後に経営していた焼酎バー「ロケットボール」は、お嫁さんと一緒にやっていたそうです。
しかし、安達投手の葬儀の喪主を務めるのは、母の節子さん。
お嫁さんは、離婚しているか、体調がすぐれないなど、喪主を務める状況ではないようです。
◆子供(娘)について
安達智次郎選手には、10歳になる娘がいます。
娘さんは、引退後も少年チームの指導に精を出す父の背中を見て育ち、「お父さんイコール野球」だと思っていたそうです。
◆叔父
元プロレスラーのミスター・ヒトは、安達投手の叔父に当たります。
本名は安達勝治(かつじ)さん。
日本やアメリカ、カナダでプロレスラーとして活躍しましたが、2010年4月21日、糖尿病の悪化により、67歳で亡くなりました。
◆まとめ
安達投手の父・孝四郎さんは2014年11月に他界しています。
父の没後、安達投手は、父の口癖だった「それでエエねん」という言葉を、胸の中で反芻していたそうです。
今頃、天国で、早すぎる父子の再会を果たされている事でしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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