ブンデスリーガ・VfLボーフムに所属するサッカー選手、浅野拓磨さん。
ニックネームはジャガーです!
今回は、そんな浅野選手を育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1994年〈平成6年〉11月10日
身 長:173cm
血液型 :A型
家族構成:父親、母親、長兄、次兄、長弟、次弟、三弟、妹
◆実家・生い立ち
浅野拓磨さんは、三重県三重郡菰野(こもの)町の出身。
小学校は地元の、菰野町立竹永(たけなが)小学校へ通いました。
サッカーはペルナSCに所属し、
試合に勝つことよりも技術の向上を重視する
という方針のもと、サッカーの基礎を学んでいます。
LINE BLOG更新しました! #地元 #サッカークラブ #ペルナSC #サッカー #スポーツ 先日、出身クラブの練習に行き子どもたちとサッカーをしてきま… https://t.co/ogjyUA6xQa
— 浅野拓磨 Takuma Asano (@AsaTaku29) June 14, 2019
土日の遠征もありましたが、家庭の経済状態を考え、宿泊を避けて2日目だけ参加していたそうです。
中学校は、菰野町立八風(はっぷう)中学校へ進学。
中学では部活でプレーをしましたが、サッカーでは無名の中学校だったため、未経験者やそれに近い実力の選手たちがたくさんいました。
浅野さんはその中でもトップレベルで、県選抜にも選ばれており、チーム内の実力差は歴然としています。
しかし浅野さんは、未経験者の選手たちがミスをしても、文句を口にしたり、苛立つような態度を一切見せませんでした。
誰とでも仲良く、そしてフラットに接する姿に、チーム内の人望は厚かったといいます。
高校進学時は、
家庭の経済環境を考えた上でサッカーをしよう
と考えていましたが、中学のサッカー部の顧問や担任が両親を熱心に説得。
地元サッカーの名門・三重県立四日市中央工業高等学校へ進学することとなります。
1年生からAチームに所属した浅野さんは、3年連続で全国高校選手権に出場。
2年次は得点王になり、チームを準優勝へ導きました。
🕰#高校サッカー の記憶🎞
🏆第90回全国大会 決勝🏆#市立船橋(千葉)🆚#四日市中央工(三重)
四中工 #浅野拓磨 が先制弾も#和泉竜司 2得点で市立船橋が優勝🏅@AsaTaku29 @izuryu1106
ダイジェスト・フルマッチ⏬https://t.co/GpGHicnV1j#第100回全国高校サッカー選手権
開幕まで
あと5️⃣3️⃣日 pic.twitter.com/w7k2fEDKOo— 高校サッカー日テレ公式 (@ntv_hss) November 5, 2021
高校卒業の際には、複数クラブから獲得オファーが届き、サンフレッチェ広島でプロ生活をスタートさせています。
◆父親はトラック運転手
浅野拓磨選手のお父さんの名前は、浅野智之さん。[1]
お父さんの職業はトラックの運転手で、日夜走り回り、大家族を支えてくれました。
2015年12月2日は、父・智之さんの50歳の誕生日。
ちょうどこの日、Jリーグチャンピオンシップの決勝第1戦が行われましたが、浅野選手は絶好機を逃してしまいます。
しかし、3日後の第2戦では、値千金の同点ゴールを決め、お父さんに3日遅れの「誕生日プレゼント」を送ることができました。
ちなみにこのゲームでは「マン・オブ・ザ・マッチ」に選ばれ、賞金50万円を獲得。
賞金の使い道を問われた浅野選手は、こう答えました。
実家の軽自動車がボロボロなので買ってあげたい
と、答えていました。
◆母親の得意料理
浅野拓磨選手のお母さんの名前は、浅野都姉子(あさの・としこ)さん。[1]
年齢は、お父さんと同い年です。
大家族の浅野家は、経済的に楽ではありませんでしたが、お母さんはスーパーのパートで働きながら、兄弟を育てました。
サッカーに明け暮れる息子たちのために、朝、暗いうちから起きて、5つもの弁当を作って応援してくれました。
そんなお母さんの得意料理は「餃子」。
取材に訪れた松木安太郎(まつき・やすたろう)さんが、
足が早くなる餃子か(笑)お店が出せるほど!
と絶賛する味です。
そんなお母さんに、浅野選手も大変感謝しており、母の日には時計をプレゼントしています(*^_^*)
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