豊富な運動量とスピードが武器の日本を代表するサイドバック、長友佑都選手。
モーニング娘。のファンでした!
今回は、そんな長友選手を育み・支え続ける『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1986年〈昭和61年〉9月12日
身 長:170cm
出身地 :愛媛県西条市
出身大学:明治大学
◆母子家庭で育つ
長友佑都選手の母親の名前は、長友りえさん。[1]
1962年4月5日生まれになります。
母・りえさんは、長友選手が小学校3年生の時にお父さんと離婚し、それ以来、女手ひとつで3人の子供を育ててきました。
お母さんの仕事は冠婚葬祭の司会業です。
専門的な職業であり、葬儀など時間が不規則なうえ、読み間違いなどの失敗は絶対に許されない仕事なので、かなり大変であったと思います。
生活も楽ではなかったはずですが、お母さんは、
子供にかかるお金は必要なもんやから、気にせんでええよ
と、いろいろな出費をためらうことは一切ありませんでした。
小学1年生でサッカーを始めた長友選手は、紆余曲折がありながらもサッカーを続け、中学3年生の時には県大会で3位の成績を収めるまでになりました。
そして長友選手は、全国でも屈指のサッカーの強豪「東福岡高校」に憧れますが、特待生になるほどの実績はありません。
一般枠で県外の私立高校に行くことになれば、相当なお金がかかることが分かっていたため、長友選手はなかなか
東福岡に行きたい
と口に出すことができませんでした。
しかしある日、意を決して長友選手がおそるおそる話をすると、母・りえさんはこう答えます。
あんたから『行きたい』と言うてくれるのをずっと待っとった。お金のことなんか心配する必要ないから
親戚からは、
そんなお金どこにあるの?” “プロになるわけでもないのに
と猛反対を受けたそうです。
しかし、母・りえさんは覚悟を固めていました。
大学も地元ではなく東京に行かせたい。そのためには子供3人で3000万円はかかる
と、奨学金や教育ローンをめいっぱい借り、そして自らに3000万円の生命保険をかけたのです。
奨学金の返済が大変になったときには、自ら死を選び、その保険金で支払うつもりでした。
まさに命がけの子育てでした。
◆イタリアへ留学した姉
長友佑都選手のお姉さんの名前は、長友麻歩さん。[2]
お母さんの方針通り、東京の「津田塾大学」に進学し、明治大学に通う長友選手と東京で同居していました。
長友選手は、大学に進学した早々に椎間板ヘルニアを発症し、試合に出場できないストレスからパチンコに溺れてしまいます。
この時は、お姉さんの叱咤激励でこの壁を乗り越えることができました。
その後お姉さんは、イタリアに語学留学をします。
イタリアでも長友選手と仲が良く、2人でリゾート地を訪れる姿を地元メディアに「バカンス」と報じられたこともありました。
長友がシチリア島で美女とバカンス!? http://t.co/8UQGOWJR
— 日刊スポーツ (@nikkansports) October 23, 2012
ネット上にはお姉さんの画像もありますが、綺麗な方ですね。
地元メディアが「恋人」と間違うのも仕方ないのかもしれませんね(#^^#)
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