DeNAベイスターズの山本武白志(むさし)選手が、注目を集めています。
今回は、そんな武白志選手を育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆父親は元ロッテ監督・山本功児さん!
山本武白志選手のお父さんの名前は、山本功児さん。
1951年12月25日生まれで、今年64歳になります。
功児さんの実家は大阪で、当時の南海ホークスの練習場であった「中百舌鳥(なかもず)球場」の近くでパン・菓子屋を営んでいました。
南海選手の利用も多く、功児さんは幼少期に南海選手から可愛がられて育ちます。
功児、合宿所に遊びに来い!
合宿所で選手たちと、食事や湯船を共にするうちに、功児さんは野球選手に憧れるようになりました。
三田学園(兵庫県)高校野球部では1年生からレギュラーとなり、3年次に春の甲子園に出場。
1969年のドラフト会議で南海ホークスから3位指名を受けましたが、法政大学への進学を選びました。
法政大学時代は、東京六大学リーグで活躍し、日米大学野球選手権大会の日本代表にも選出されています。
卒業後は、本田技研鈴鹿、西濃運輸、新日鐵名古屋と渡り歩き、1975年のドラフト5位で読売ジャイアンツに入団しました。
ジャイアンツ時代は王貞治選手が活躍する中、7試合で四番打者として先発出場(゚д゚)!
1984年にロッテに移籍すると、ゴールデングラブ賞を2度受賞するなど活躍し、1988年に引退します。
引退後はロッテのコーチ・二軍監督を経て、1999年から2003年までロッテ監督に就任。
その後、巨人のコーチや野球解説者などを務めましたが、2008年に慢性心不全を発症し、療養生活へ。
長男・武白志(むさし)さんが九州国際大学付属高校へ進学したことを機に、福岡県へ移住しました。
熱血漢ゆえにファンや審判とやり合うことも多く、オープン戦で塁審に、
しっかり見ろよ、このタコ!
と暴言を吐いて退場となったこともあります(^^;)
しかし、選手や周囲からの信頼は厚く、あの清原和博選手も巨人時代、慕っていたということです。
《山本功児さんから見た「家族」の姿!》
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◆実家・母親の画像!
山本武白志選手のお母さんの名前は、山本美砂子さん。
年齢は、今年で54歳なので、功児さんより10歳年下になります。
それではここで、武白志選手の両親の画像をご紹介します。
お母さん、すごく若くて綺麗な方ですね(#^^#)
◆兄弟はいる?
山本武白志選手は一人っ子で、兄弟はいません。
◆まとめ
2016年4月23日、山本武白志選手の父・功児さんが、肝臓がんのため、亡くなりました。
功児さんは、心臓ペースメーカーの装着を医師から勧められたときも、
武白志にボールを投げてやりたい
という理由でこれを拒否。
晩年は、武白志さんにすべてを捧げた人生でした。
これからも天国から、家族のことを見守り続けてくれることでしょう。
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