川崎宗則の『家族』~実家は電気工事店…2歳年下妻との間に息子と2人の娘

BCリーグ栃木ゴールデンブレーブスに所属する、川崎宗則さん。

薩摩のイチローと呼ばれてました!

今回は、そんな川崎選手を支えてきた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

名  前:川崎宗則(かわさき・むねのり)
生年月日:1981年〈昭和56年〉6月3日
身長体重:180cm/75kg
血液型 :O型
出身地 :鹿児島県姶良郡姶良町
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◆父親の職業は?

川崎宗則さんのお父さんの名前は、川崎正継さん。

お父さんの職業は、地元鹿児島県で「川崎電気工事」という電気工事店を経営しています。

川崎選手は、高校2年生の時、お父さんに第2種電気工事士の国家試験を受けたいと申し出ました。

「厳しいぞ」と言う父親に、息子は、

分かってる!

と鋭い言葉を返します。

自宅で開かれたマンツーマンの講座に、川崎選手は必死で食らいついてきました。

そして、クラスの半分も合格できなかった難関を、川崎選手は見事1回でクリアするのです。

川崎選手が野球を始めたのも、野球好きのお父さんの影響。

3歳のころ、父・正継さんとキャッチボールをし、初めて捕れた嬉しさが忘れられず、ますます野球を知りたいと思うようになったのでした。

◆母親の優しさ

川崎宗則選手のお母さんの名前は、川崎絹代さん。

お母さんは、お父さんとともに電気工事の現場に出て、朝から晩まで仕事に追われて働きました。

しかし、小児ぜんそくで体が弱かった川崎選手を、月に2~3回は病院に連れて行ってくれたのもお母さんでした。

川崎選手は高校3年になり、両親に頼みます。

ボクは将来プロになりたい。そのために大学に行かせてください。4年間で体をつくって、プロテストを受ける。それでダメならあきらめもつくし、その時は家を継ぐつもりです

しかし、当時は全国的な建築不況がニュースになった時期であり、実家の電気工事店にもその余波が直撃します。

お母さんは、学費をねん出するために必至の行動に出ます。

電気工事店の仕事をする傍ら、午前中に5時間、近所の精肉店にパートとして通い始めるのです。

息子が自ら選んだ本気の目標だから、本気で受け止める必要がありました。

幸いにして、川崎選手は高校時点でドラフト指名されたため、大学には進学していません。

◆姉

川崎宗則選手にはお姉さんがいて、名前は紀代美さん。

川崎選手は子供のころ、実家の前で、いわゆる「壁当て」を毎日のようにやっていました。

その様子をいつも見ていたお姉さんは、次のように語っています。

本当に飽きもしないでずっと投げつづけるんですから。暗くなるまで・・・いや、暗くなってからも投げてました。

そうやって壁に刻まれた白いボール跡は、今も消えることなく残っているそうです。

◆兄

川崎宗則選手のお兄さんの名前は、川崎直文さん。

川崎選手は小3の時、お兄さんの影響で野球部に入っています。

小さい頃は、野球を教えてくれていたのでしょうね。

◆祖父

川崎選手のお祖父さんは、川崎正則さん。

川崎選手の「宗則」という名前は、お祖父さんから「則」という字をもらっています。

「宗」には「天下を取る」との意味が込められているということです。

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