2016年5月13日、元プロ野球選手の工藤幹夫さんが、肝不全のため亡くなりました。
今回は、在りし日の工藤さんを支えた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆本人の経歴
工藤幹夫さんは、1960年9月30日生まれで秋田県出身。
本荘南中学校時代には、軟式野球の東北大会で優勝を経験します。
秋田県立本荘高校に進学し、甲子園出場はならなかったものの、巨人も獲得意欲を示していた程の逸材でした。
1978年にドラフト2位で日本ハムへ入団。
1982年には先発として、20勝4敗・防御率2.10の成績を収め、最多勝・最高勝率・ベストナインに輝きました。
◆奇襲作戦とは?
工藤幹夫投手と言えば、「奇襲作戦」が有名です。
1982年9月に右手小指を骨折し、前期優勝の西武と対戦するプレーオフは絶望と見られていましたが、突然第1戦に先発。
対戦相手の西武だけでなく、メディアや味方のチームメイトまでもが驚きました。
実は、骨折は10日で完治していたのを、監督の命で秘密にしていたのです(*^^*)
この年は色んな話題を振りまいた年でしたが、翌年は肩を痛め、1984年を最後に一軍から遠ざかりました。
1986年に右肩軟骨摘出手術を受け、1988年には野手に転向しましたが、一軍へ上がることは出来ず、現役を引退。
引退後は秋田へ戻り、秋田市手形山中町でスポーツ店を経営しながら、社会人野球チームの監督兼投手を務めていました。
◆工藤幹夫杯とは?
工藤幹夫杯とは、秋田で毎年4月終わりに開催される、少年野球大会です。
2016年に「第28回」が開催されていますから、この大会は工藤さんが引退された頃に始まっている事になります。
工藤さん亡き後も、大会の歴史は受け継がれていく事でしょう。
◆お嫁さんの年齢は?
工藤幹夫さんのお嫁さんの名前は、工藤美智代さん。
年齢は、工藤さんと同い年なので、55歳になります。
工藤投手が20勝を挙げた1982年のオフに結婚。
しかし、その後、工藤さんは不調に苦しみ、妻・美智代さんへ辛く当たってしまいます。
あの時は、自分のことで精一杯で、優しい気持ちを持てなかった
妻・美智代さんは度重なる精神的な負担から過呼吸になり、何年も苦しみました。
あなたのエンジンは小さい。大型ダンプは運転できない
医者こう言われ、ようやく肩の力を抜きます。
普通の家庭と何ら変わりありません。夫が仕事に行き詰まったり、職を失ったら心配をする。それだけのこと
素っ気なく話す美智代さんですが、ずっと側で工藤さんを支え、必死で寄り添ったのでした。
あいつがいなければ今の自分はないだろうな
後年、工藤さんは、美智代さんへの感謝を口にしています。
◆子供の名前は?
工藤幹夫さんには、子供が2人います。
長男の名前は、工藤壮史(まさふみ)さん。
父親の背中を見て育った壮史さんは、野球の道へ進み、秋田の強豪・秋田商業高校に進学。
投手として、父が成しえなかった「甲子園」を経験しています。
◆まとめ
人生の大半を、野球と共に生きてきた工藤幹夫さん。
結局、野球が好きなんだと思う
晩年、メディアの取材にこう答え、クールに笑っていたそうです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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