原晋の『家族』~寮母を務める妻・原美穂さんと子供代わりの学生たち

青山学院大学陸上競技部の監督をつとめる、原晋さん。

子供の頃は「すーちゃん」と呼ばれてました!

今回は、そんな原さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

名前:原 晋(はら・すすむ)
生年月日:1967年〈昭和42年〉3月8日
身長:176cm
出身地:広島県三原市
出身大学:中京大学
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◆寮母を務める妻・原美穂さん

①原さんとの馴れ初め

原晋さんは1993年、26歳くらいで結婚しています。

奥さまの名前は、原美穂(はら・みほ)さん。[1]

原さんと同じく、1967年生まれになります。

妻・美穂さんは、広島県広島市の出身。

幼いころから、実父の転勤にともない、千葉、北海道、埼玉などで暮らしました。

大学卒業後、証券会社へ就職しています。

最初は奥さんではなく、キューティーハニー似の友達の方を狙っていた

という原さん。

原さんがその女性に電話をかけたとき、たまたま部屋にいたのが美穂さんでした。

美穂さんと電話で話して意気投合した原さんが、

今週空いてる?

と誘ったことから交際が始まり、その後1年もしないうちに結婚したそうです。

②寮母として夫を支える

27歳で選手生活を引退した原さんでしたが、その後は大企業・中国電力で安定したサラリーマン生活を送っていました。

広島にマイホームを構え、平穏な毎日を過ごしていたある日、原さんは美穂さんにこう打ち明けます。

中国電力を退社し、青学陸上部監督になった。箱根駅伝で必ず優勝するから、夫婦で東京の寮に住み込もう

事前に何の相談もなく、あまりにも勝手な行動に、美穂さんは当然反対しました。

当時、念願のマイホームを建てて1年半しか経っておらず、美穂さん自身は大手企業の正社員に内定していた状況。

原さんは、奥さんと喧嘩もしながらも機嫌をとり、1年かけて説得し、

今さら反対しても、変わらないでしょ?日本一になりなさいよ!

と、ようやく了承をとりつけたのでした。

東京に行った妻・美穂さんは、寮母さんとなり、寮に住み込んで学生達の生活面をサポートします。

美穂さんも学生たちも最初は戸惑いましたが、接し方も、暮らし方もみんなで少しずつ決めていったそうです。

下級生にばかり雑用を押しつける上級生を、美穂さんは寮中に響く大声で怒鳴りつけたこともあります(>_<)

そして11年後、青山学院大学は、見事、箱根駅伝初優勝を成し遂げました。

これは、原さんの指導と選手の努力、そして、妻・美穂さんのサポートが勝ち取った勝利と言えるでしょう。

◆子供代わりの学生たち

原晋さんと妻・美穂さんの間には、子供はいません。

特に「不妊」などに触れられたことはなく、理由は分かりません。

少なくとも2人は、大勢の子供(学生)たちに囲まれているので、寂しいということはないでしょう(*^^*)

◆実家は広島・三原

原晋さんの実家は、広島県三原市糸崎町

瀬戸内の古い港町で生まれ、幼少期は海を遊び場に、活発な少年でした。

小学生の頃から、ソフトボールは4番でピッチャー、相撲では主将をつとめ、スポーツ万能です。

中学校に入学後、野球部に入部するか迷ったあげく、幼なじみの勧めもあり、陸上部に入部し長距離走を始めました。

幼なじみに感謝です!

しかし、中学の陸上部で長距離選手だったのは原さんだけ。

そこで原さんは中学3年のとき、三原市中学校駅伝大会に出るため、テニス部やバスケ部の生徒を誘い、寄せ集めチームをつくります。

人集め、チーム編成、区間の人選、レースの戦略まですべて指揮をとり、見事に優勝を果たしました。

自ら組み立てて成果を出す…

この成功体験が、原さんの駅伝人生の始まりでした。

高校は名門の広島県立世羅(せら)高等学校へ進学。

原さんの学年はエース級の選手がおらず、監督から、

駄馬軍団だ!

と言われていました。

しかし原さんは、主将としてチームの体制づくりから始め、自分たちでルールを決めて練習に励んだのです。

その結果、全国高校駅伝大会で準優勝という栄光を掴んでいます。

大学は、高校時代の恩師から、

中京大に行きなさい

と言われ、中京大学の陸上部へ入部しました。

高校時代の厳しい寮生活の反動も手伝って、大学1年、2年の頃はパチンコとコンパに明け暮れる毎日。

3年生の時に日本インカレで5000メートル3位という成績を残しますが、希望した実業団からは門前払いを受けました。

失意のもと、郷里の中国電力に入社し、陸上競技部の創設に参加。

主将として、全日本実業団駅伝初出場に貢献しましたが、故障が原因で、27歳で選手生活を引退しています。

◆父親の職業は?

お父さんの職業は、小学校の教員をしていましたが、

勉強をしなさい!

と言われたことはありません。

それでも、原さんが大学を卒業するときは、お父さんの影響を受け、

教師にでもなろうか…

と、広島の母校で教育実習を受けていました。

結局、地元の中国電力・陸上競技部から誘いを受け、同社へ入社します。

もし、この誘いがなければ、お父さんのように広島で学校の先生をしていたかもしれませんね。

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◆母親の名前は?

原晋さんのお母さんの名前は、原房子さん。[2]

お母さんに関するエピソードは、原さんが中国電力の営業マンとして、安定した生活を送っていた2004年のことです。

原さんは、母校の広島・世羅高の関係者との縁で、青山学院大学陸上部の監督に誘われます。

“できっこない!”

就任に際し、妻の美穂さんをはじめ周囲は猛反対しましたが、唯一人、賛成してくれたのは、母の房子さんでした。

“やるなら日本一になりなさい…”

なぜ、お母さんが賛成してくれたのかは、明らかではありません。

しかし、原さんが陸上から離れながらも、陸上に対する情熱を捨てていなかった事を、お母さんは分かっていたのかもしれません。

◆兄弟はいる?

原晋さんは男兄弟の末っ子で、やんちゃだったそうです。

広島の実家は、家から海に飛び込むことができたそうで、お兄さんたちと海で泳いだり、ソフトボールをしたりして育ちました。

◆まとめ

これまで見てきた通り、原晋さんの栄光の陰には、陰ながら支えてくれた『家族』の姿がありました。

これからも家族の応援を受けて、原さんの挑戦は続いていきます!

◇編集後記①愛用する腕時計

原晋さんが愛用する腕時計はこちら。

これはハミルトンスピリット オブ リバティという機種です。

「自由な精神」を意味するスピリット オブ リバティは、1892年ハミルトン創業当時のクラシカルなアメリカンスタイルの腕時計。

見た目はクラシックですが、21世紀の技術が詰め込まれており、時間にシビアな原さんにピッタリなモデルとなっています😉

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◇編集後記②箱根駅伝の成績

原晋さんが箱根駅伝で残した、青山学院大学の成績を振り返ってみましょう。

  • 2005年箱根駅伝(就任1年目) 予選敗退(予選会16位)
  • 2006年箱根駅伝(就任2年目) 予選敗退(予選会13位)
  • 2007年箱根駅伝(就任3年目) 予選敗退(予選会16位)
  • 2008年箱根駅伝(就任4年目) 予選敗退(予選会10位)

予選会は、9位以内が本選出場となるので、2008年の結果はとても惜しいものでした。

この年、原さんは学連選抜連合の監督として、箱根駅伝の本大会に出場しています。

学連選抜の合宿で、原監督は選手たちに問いかけました。

学連選抜で何がしたいの?思い出作り?それとも戦いたいのか?

こうして、ひとりひとりのモチベーションを上げ、寄せ集めの選手たちが連帯感を持って欅をつないだ結果、史上最高の4位という成績を残しています。

  • 2009年箱根駅伝(就任5年目) 22位

就任5年目にして、原監督はついに青学を33年ぶりの箱根駅伝出場に漕ぎつけました。

しかし、予選会の結果は13位だったので、本来であれば本選出場できないラインです。

実は、この年の大会は記念大会であったため、例年よりも出場枠数を3校増やした23校とされていました。

さらに前年に学連が4位でシード権を獲ったので、予選通過枠が1校増えています。

そのため予選通過枠は、従来の9校+3校+1校=13校となり、青学はギリギリで通過できたのです。

  • 2010年箱根駅伝(就任6年目) 8位(41年ぶりのシード権獲得)
  • 2011年箱根駅伝(就任7年目) 9位
  • 2012年箱根駅伝(就任8年目) 5位
  • 2013年箱根駅伝(就任9年目) 8位
  • 2014年箱根駅伝(就任10年目) 5位
  • 2015年箱根駅伝(就任11年目) 優勝(初)

就任11年目にして、原監督はついにチームを優勝に導きます。

監督就任時、

箱根駅伝に3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争い

と公言していましたが、ほぼ言葉通りの優勝となりました。

  • 2016年箱根駅伝(就任12年目) 優勝(2連覇)
  • 2017年箱根駅伝(就任13年目) 優勝(3連覇)
  • 2018年箱根駅伝(就任14年目) 優勝(4連覇、史上4校目)
  • 2019年箱根駅伝(就任15年目) 準優勝
  • 2020年箱根駅伝(就任16年目) 優勝
  • 2021年箱根駅伝(就任17年目) 4位

2019年は惜しくも5連覇を逃しましたが、原さんは、

3大駅伝制覇と箱根駅伝5連覇が共に叶ったら、ひっそり監督業を去ろうかなと思った時もありました

と話しています。

敗れて良かったとは言いませんが、原さんは現在も青学の監督として活躍しています!

◇脚注

  1. PRESIDENT Online 2018年1月6日 青学陸上部を密かに支えた”寮母”の声がけ
  2. 人を育て組織を鍛え成功を呼び込む勝利への哲学 2016年11月1日 142その思いを胸に秘めて今日まで来た

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