青山学院大学陸上競技部の監督で、箱根駅伝四連覇を成し遂げた、原 晋監督。
今回は、そんな原監督を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆お嫁さんの名前や画像は?
原 晋監督のお嫁さんの名前は、原美穂さん。
原監督と同じく、1967年生まれになります。
実は、原監督が青学の監督に就任する際、妻・美穂さんは反対していました。
当時、念願のマイホームを建てて1年半しか経っておらず、美穂さん自身は大手企業の正社員に内定していた状況。
原監督は、奥さんと喧嘩もしながらも機嫌をとり、1年かけて説得し、ようやく了承をとりつけたのでした。
今さら反対しても、変わらないでしょ?日本一になりなさいよ!
東京に行った妻・美穂さんは、寮母さんとなり、寮に住み込んで学生達の生活面をサポートします。
美穂さんも学生たちも最初は戸惑いましたが、接し方も、暮らし方もみんなで少しずつ決めていったそうです。
下級生にばかり雑用を押しつける上級生を、美穂さんは寮中に響く大声で怒鳴りつけたこともあります(>_<)
《画像左が美穂さん、右は原監督》
そして11年後、青山学院大学は、見事、箱根駅伝初優勝を成し遂げました。
これは、原監督の指導と選手の努力、そして、妻・美穂さんのサポートが勝ち取った勝利と言えるでしょう。
◆子供代わりの学生たち
原 晋監督と妻・美穂さんの間には、子供はいません。
特に「不妊」などに触れられたことはなく、理由は分かりません。
少なくとも2人は、大勢の子供(学生)たちに囲まれているので、寂しいということはないでしょう(*^^*)
◆実家は広島・三原
原 晋監督の実家は、広島県三原市糸崎町。
瀬戸内の古い港町で生まれ、幼少期は海を遊び場に、活発な少年でした。
小学生の頃から、ソフトボールは4番でピッチャー、相撲では主将をつとめ、スポーツ万能です。
中学校に入学後、野球部に入部するか迷ったあげく、幼なじみの勧めもあり、陸上部に入部し長距離走を始めました。

幼なじみに感謝ですね!
◆父親の職業は?
お父さんの職業は、小学校の教員をしていましたが、
“勉強をしなさい!”
と言われたことはありません。
それでも、原監督が中京大学を卒業するときは、お父さんの影響を受け、
“教師にでもなろうか…”
と、広島の母校で教育実習を受けていました。
結局、地元の中国電力・陸上競技部から誘いを受け、同社へ入社します。
もし、この誘いがなければ、お父さんのように広島で学校の先生をしていたかもしれませんね。
◆母親の名前は?
原 晋監督のお母さんの名前は、原房子さん。
お母さんに関するエピソードは、原監督が中国電力の営業マンとして、安定した生活を送っていた2004年のことです。
原監督は、母校の広島・世羅高の関係者との縁で、青山学院大学陸上部の監督に誘われます。
“できっこない!”
就任に際し、妻の美穂さんをはじめ周囲は猛反対しましたが、唯一人、賛成してくれたのは、母の房子さんでした。
“やるなら日本一になりなさい…”
なぜ、お母さんが賛成してくれたのかは、明らかではありません。
しかし、原監督が陸上から離れながらも、陸上に対する情熱を捨てていなかった事を、お母さんは分かっていたのかもしれません。
◆兄弟はいる?
原 晋監督は男兄弟の末っ子で、やんちゃだったそうです。
広島の実家は、家から海に飛び込むことができたそうで、お兄さんたちと海で泳いだり、ソフトボールをしたりして育ちました。
◆まとめ
これまで見てきた通り、原 晋監督の栄光の陰には、陰ながら支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を受けて、原監督の挑戦は続いていきます!
◇編集後記
原 晋監督が愛用する腕時計はこちら。
これはハミルトンのスピリット オブ リバティという機種です。
「自由な精神」を意味するスピリット オブ リバティは、1892年ハミルトン創業当時のクラシカルなアメリカンスタイルの腕時計。
見た目はクラシックですが、21世紀の技術が詰め込まれており、時間にシビアな原監督にピッタリなモデルとなっています😉


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