陸上男子100mで、日本人初の9秒台をマークした、桐生祥秀(きりゅう・よしひで)選手。
今回は、そんな桐生選手を育み、いつでも支えてくれる「家族」にスポットを当て、ご紹介します。
◆父親の職業は平和堂?
桐生祥秀選手の父親の名前は、桐生康夫さん。
年齢は、今年(2017年)で52歳になります。
父・康夫さんの勤め先は、食品スーパー大手の平和堂ではないか、と言われています。
平和堂は、東証1部上場で、年商4000億円を超える優良企業です。
桐生選手の出身である、滋賀県彦根市に本社があるため、噂は本当かもしれませんし、「彦根」繋がりで出たデマかもしれません。
◆母親の名前は?
桐生祥秀選手の母親の名前は、育代さん。
年齢は、今年(2017年)で52歳なので、お父さんと同い年になります。
桐生選手は、実家の彦根市から京都・洛南高校へ進学しました。
高校には寮も食堂もありましたが、監督からは自宅通学を提案されます。
柴田監督は、父親が毎朝駅まで送ることや、母親の手作りの弁当を食べることによって、親への感謝を身につけさせたいと考えたのです。
母・育代さんは、監督の意向のとおり、毎朝弁当を作って持たせ、夜9時半に駅に迎えに行く生活を続けました。
◆兄の年齢や画像は?
桐生祥秀選手にはお兄さんがいて、名前は桐生将希さん。
年齢は、今年(2017年)で26歳なので、桐生選手より4歳年上になります。
兄・将希さんは、彦根工業高校を卒業後、岐阜経済大学のスポーツ経営学科に進学。
お兄さんも陸上・短距離の選手であり、大学の陸上部ではリレーの代表を務めるほどの俊足の持ち主でした。
もともと、小学校でサッカーをしていた桐生選手の才能を見抜き、
陸上で大物になる逸材だ…
と期待を込め、陸上の道に誘ったのは、他でもないお兄さんなのだそうです。
桐生選手の素質は予想以上であり、中学3年生でタイムを抜かれてしまった時は、素直に悔しかった兄・将希さん。
しかし、その後もケガで悩む弟をなぐさめ、食事などをアドバイスしながら支えたのも、将希さんでした。
◆まとめ
京都・洛南高3年の時に、歴代2位の10秒01を出して時の人になった桐生選手。
目標は9秒台ではない
と周囲には語っていましたが、本音は別のところにありました。
東洋大の土江寛裕コーチは
9秒台で走れる
と言ってくれなかったため、桐生選手はコーチの言うことを聞かず、独自の道を進みます。
しかし記録は出ず、けがも増え、周囲が心配しても耳をふさぎました。
そんな時、父・康夫さんから電話がかかります。
お前のことを本当に考えてくれているのは誰なんや?
普段は怒らない父との30分の会話。
桐生選手は、コーチやかつての恩師、周囲の思いを聞かされました。
僕がどれだけ周りの人に支えられているのか気づかされた…
これが転換点となり、土江コーチの指導で走りを磨いた桐生選手は、2017年9月、遂に10秒の壁を破ります。
日本陸上の歴史を塗り替えた偉業は、家族の力で掴みとった栄光でもあったのでした.:*・゚゚
《土江コーチの記事はこちら》
土江寛裕の『家族』~お嫁さんと2人の子供、父も桐生の9秒台に涙…
◆あとがき
桐生祥秀選手をはじめ、日本を代表するトップアスリートの12家族を取材した本があります。
天才を作る親たちのルール トップアスリート誕生秘話 トップアスリート誕生秘話 (Sports graphic Number books) [ 吉井妙子 ]
トップアスリートを、親は家庭でどのように教育したのか…?
親がしたこと、親がしなかったことは何なのか…?
アスリートを支えるご家族は必見です。
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