【山本智大】の家族~父は名指導者、母は経験者、兄は顧問…バレー一家で培われた守備の技術

バレーボール選手として活躍する、山本智大さん。

が苦手です!

今回は、そんな山本智大さんを取り巻く『家族』の物語です。

名  前:山本智大(やまもと・ともひろ)
生年月日:1994年〈平成6年〉11月5日
出身地 :北海道江別市
身  長:171cm
出身大学:日本体育大学
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◆家系図・家族構成

山本智大さんの実家は、父親、母親、兄、本人の4人家族です。

父親はバレーボール指導者の山本忠文さん。

母親の山本伸子さんも、ママさんバレーに取り組んでいました。

そして2歳年上の兄、山本貴大さんもバレーボール選手として活動していた人物です。

まさに、家族全員がバレーボールと深く関わってきた家庭でした。

なお、山本さんの結婚については、本人や所属先から公表された情報は確認できません。

◆実家・生い立ち

山本智大さんは、北海道江別市で生まれました。

バレーボールとの出会いは、幼いころの家庭環境と深く結びついています。

父・忠文さんはバレーボールの指導者。

母・伸子さんもママさんバレーに取り組んでいました。

そして智大さんが小学校へ入学するころ、先にバレーボールを始めていたのが兄の貴大さんでした。

兄は地元の「江別中央ガッツ」に所属。

その背中を追うように、智大さんも同じチームに入り、バレーボールを始めます。

現在、日本を代表するリベロとなった山本さんですが、その第一歩は、すぐそばにいた兄の存在から始まっていたのです。

◆父親・山本忠文さん

山本智大さんの父親は、山本忠文(やまもと・ただふみ)さんです。

忠文さんは中学校の教員として勤務しながら、男子バレーボール部の指導に携わってきました。

北海道のバレーボール界では知られた指導者で、江別市立江別中央中学校の男子バレーボール部を全国優勝に導いた実績もあります。

基本に始まり、基本で勝負は決する

という考えを大切にし、バレーボールの基本技術を重視した指導を続けていました。

そんな父親のもとで育った智大さん。

しかし、父親は単に息子をバレーボール選手に育てたわけではありません。

智大さんが中学生になったころ、父・忠文さんは、息子のある可能性を見抜きます。

当時の智大さんは、アタッカーとしてプレーしていました。

ところが、身長の伸びには限界がありました。

そこで父親が勧めたのが、守備のスペシャリストであるリベロへの転向でした。

身長の低さを弱点にするのではなく、レシーブ力を武器にする

そんな方向へと導かれたことが、後の山本智大さんの大きな転機となります。

現在、世界レベルのスパイクを拾い続ける「守護神」となった山本さん。

その原点には、息子の可能性を冷静に見抜いた父親の存在がありました。

◆母親・山本伸子さん

山本智大さんの母親は、山本伸子(やまもと・のぶこ)さんです。

伸子さんはバレーボール経験者で、ママさんバレーに取り組んでいたことが知られています。

父親が指導者、母親がプレーヤー。

家の中にバレーボールがあることが、ごく自然な環境だったのでしょう。

山本さん自身も、所属チームのプロフィールで「バレーボールを始めたきっかけ」を家族の影響としています。

兄の背中を追い、両親のプレーや指導を身近に感じながら育ったことが、競技人生の土台になったのです。

◆兄・山本貴大さん

山本智大さんには、2歳年上の兄、山本貴大(やまもと・たかひろ)さんがいます。

貴大さんも小学生のころからバレーボールを始めました。

高校は札幌藻岩高等学校、大学は東海大学札幌校舎へ進学。

ポジションはセッターでした。

大学時代には北海道大学バレーボールリーグで活躍し、優勝を経験するとともに、セッター賞を受賞しています。

つまり智大さんにとって兄は、単なる「2歳年上の兄」ではありません。

幼いころから同じ競技に取り組み、先を走る身近な先輩でもあったのです。

兄がバレーボールを始めた。

その姿を見て弟もバレーボールを始めた。

そして兄がセッターとしてトスを上げる一方、弟はリベロとしてボールを拾う――。

同じ家に生まれた兄弟が、それぞれ違うポジションからバレーボールを極めていきました。

◆兄も教師としてバレーを指導

貴大さんは競技者としてだけではなく、その後は教師としてバレーボールの指導にも携わっています。

2019年には、恵庭市立恵明中学校(当時の学校表記)の男子バレー部で教師・指導者を務めており、弟の智大さんが学校を訪問したことが学校公式サイトで紹介されています。

このとき智大さんは、兄が指導する生徒たちと一緒に試合やパス練習を行いました。

女子バレー部の生徒たちは、代表選手のプレーを間近で見ながら、レシーブのコツなどを質問。

練習後にはサインや握手にも応じています。

幼いころは同じチームでボールを追った兄弟。

やがて兄は指導者となり、弟は日本代表選手となりました。

そして今度は、弟が兄の教え子たちに技術を伝える――。

なんとも山本家らしい、バレーボールを通じた兄弟のつながりです。

◆エピローグ

山本智大さんは2019年に日本代表へ初選出されました。

そして2021年の東京オリンピック、2024年のパリオリンピックと、2大会連続で五輪の舞台に立っています。

東京五輪では男子日本代表のリベロとしてプレー。

パリ五輪でも日本の守備を支えました。

幼いころ、兄の後ろについて始めたバレーボール。

父親から「リベロ」という道を示され、母親からもバレーボールの環境を与えられ、兄とともに競技を続けてきました。

家族の中で始まった小さな一歩が、やがて日本代表のユニフォームへとつながっていったのです。

さらに今度は、その技術を次の世代へ伝える立場にもなっています。

一つのボールから始まった家族の物語は、世代を超えて、これからも続いていくのでしょう。

◇出典

  1. JOC(日本オリンピック委員会)「山本 智大」プロフィール
  2. 大阪ブルテオン「山本 智大」選手紹介
  3. J SPORTS「山本 智大」選手名鑑
  4. 日刊スポーツ「北海道からパリ五輪へ “落とさない男”リベロ山本智大は『どんな時もあきらめない』」
  5. スポーツナビ「大阪ブルテオンで活躍する“魅せるリベロ”山本智大 学生時代に『自信がなかった』と述べた理由とは?」
  6. 恵庭市立恵明中学校「8.31バレー部 全日本代表と交流」
  7. ジャパンライム「めざせ!都道府県大会出場!!」

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