日本を代表するシンガーソングライターの一人、元オフコースの小田和正(おだ・かずまさ)さん。
今回は、そんな小田さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆逗子の実家は仮差押えに…
小田和正さんの実家は、横浜の金沢文庫すずらん通り商店街で小田薬局を経営。
小田さんは、関東学院六浦小学校、横浜市立八景小学校を経て、全国有数の中高一貫校である「聖光学院」に進学しました。
聖光学院で同級生となった、鈴木康博さん、地主道夫さん、須藤尊史さんと結成したバンドが、後の「オフコース」となります。
小田さんの実家は金沢文庫で薬局を営んでいましたが、住まいは神奈川県の逗子にありました。
逗子の実家は300平方メートル以上の豪邸でしたが、事業資金の抵当に入っていたのでしょう。
小田薬局の経営悪化にともない、2005年に横浜地裁から「仮差し押さえ命令」が出されています。
◆父親をがんで亡くす
小田和正さんのお父さんの名前は、小田信次さん。
父・信次さんは、東京都本郷の出身で、すずらん通り商店街の基礎を築いたことから「藍綬褒章」を受章しているそうです。
そんなお父さんの野望は、長男に薬局を継がせ、二男の小田さんを医者にすること。
しかし、小田さんは信次さんの期待に背き、東北大で建築を専攻。
その後、早大大学院で
「建築との訣別」
という修士論文を書き、卒業するや音楽の道へ進んでしまいました(^_^;)
父・信次さんは
何を考えているのか…
と嘆いていたということです。
信次さんは晩年、舌がんを患い、2008年5月26日に94歳で亡くなりました。
◆母親の出身地は和歌山県北山村
小田和正さんのお母さんの名前は、きのゑさん。
“母親が和歌山のド田舎の出身”
と小田さんは語ったことがありますが、お母さんの出身地は、和歌山県の北山村だそうです。
お母さんは歌が上手い方で、幼いころ歌ってくれた
『春の小川』
などが、小田少年と音楽との出会いとなりました。
小田さんの幼少期は、お母さんは商売に忙しく、あまり子供と一緒にいることができませんでしたが、
“悪いことをだけはしてはいけない”
という修身を重視したお母さんは、子供たちをミッション系の学校に通わせます。
小田さんが関東学院や聖光学院を出ているのは、お母さんのこうした考え方によるものなのですね。
小田さんが「かけがえのない人」と称するお母さんは、現在は天国にいらっしゃいます。
◆兄は実家・小田薬局を継承
小田和正さんには1歳年上のお兄さんがいて、名前は小田兵馬さん。
兄・兵馬さんは、薬剤師となって、実家の小田薬局を継承しています。
薬局経営のかたわら、日本チェーンドラッグストア協会、横浜市金沢区薬剤師会などの要職も歴任していました。
しかし、前述のとおり、経営が悪化し、一時期は十数店あった店舗を縮小。
実家の小田薬局も《休業》の貼り紙があったそうですが、現在は、開業当時の姿に復元して再開されています。
◆結婚してお嫁さんがいる?
小田和正さんは、プライベートをあまり明かしませんが、結婚されています。
お嫁さんの名前は恵子さんで、元々、オフコースのファンだったのだとか。
オフコースのファンクラブを作ったことがきっかけで、交際に発展し、結婚にいたりました。
現在でも、一緒にゴルフに出かけるなど、仲良くされているようです。
◆子供はいる?
小田和正さんは、結婚はしていますが、子供はいません。
“子供の泣く声が苦手…”
で、小田さんが子供を望まなかったのだそうです。
しかし、『生まれ来る子供たちのために』という名曲を残すくらい、子供のことを考えている小田さん。
もっと、深い理由があるのかもしれませんね。
◆まとめ
父・信次さんが亡くなる直前、小田さんがまもなく到着すると聞くと、お父さんは
“そうか、それじゃあちょっと寝るわ…”
と言って、眠りにつきました。
そしてそれが、お父さんの最後の言葉になりました…
お父さんは、小田さんの到着を待っていたかのように、穏やかに天に召されたということです。
今ではお母さんと一緒に、天国から小田さんの事を、温かく見守ってくれていることでしょう。
◇編集後記
小田和正さんが、ライブやレコーディングで使用するメインギターはこちら。
ジョン・レノンやボブ・ディランも愛用したと言う、伝説の名器です。
お値段もびっくりするほどではないですが、『ジョン・レノン・モデル』になると、一桁上がるようですね(^_-)
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