女子プロテニス選手として活躍した、伊達公子(だて・きみこ)さん。
全盛期のニックネームはライジング・サンです!
今回は、そんな公子さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1970年〈昭和45年〉9月28日
身 長:163cm
血液型 :B型
家族構成:①実家:父親、母親、兄、姉
②現在:夫
◆実家・生い立ち
伊達公子さんは、京都府京都市の出身。
小学校は地元の、京都市立鷹峰(たかがみね)小学校へ通いました。
小学校1年生のとき、両親が健康管理のために行っていたテニスクラブ「セブンスリー」でテニスを始めます。
運動神経抜群の公子さんでしたが、意外にも小学生の時は優勝した経験がないのだとか。
それでも京都で2番手か3番手、全国でベスト8まで進んでいるので、目立つ存在ではあったのでしょう。
小学校6年生のときに滋賀県大津市へ引っ越し、大津市立瀬田南(せたみなみ)小学校へ転校。
中学校は、大津市立瀬田中学校へ進学しました。
部活はバレーボール部でした!
テニスは京都市山科区にある「四ノ宮テニスクラブ」で修行を続けますが、ここでも劣等生だったのだとか。
テニスへのモチベーションも下がり、クラブをさぼって友達の家で遊んだりしていました。
それでも中学校時代には、滋賀県テニス選手権で優勝を経験しています。
高校は、兵庫県尼崎市にあるテニスの名門校・園田学園高等学校で光国彰監督の指導を受けました。
1988年のインターハイで、シングルス、ダブルス、団体優勝の3冠獲得を達成。
高校卒業後の1989年に、プロに転向しています。
◆父親の職業は?
伊達公子選手のお父さんの名前は、伊達寿一(だて・じゅいち)さん。[1]
お父さんは、かつて京都市交通局に勤務しており、市バスの運転手や地下鉄の駅の仕事をしていました。
そもそも、公子さんが6歳でテニスを始めたのは、テニス好きのお父さんの影響。
お父さんはいつも公子さんを応援してくれましたが、多感な時期は、試合の応援に来たお父さんを追い返したこともありました。
それでも、高校を卒業して、
プロになる!
と告げた時も、やがて世界を転戦するようになってからも、お父さんは公子さんの一番のサポーターでした。
やがて公子さんは現役を引退し、生涯の伴侶を得ることになります。
しかし、結婚式の前に、お父さんの身体がガンに侵されていることが分かりました。
結婚式には出られないかもしれない…
そう話したお父さん。
しかし、結婚式の当日には快復し、しっかりした足取りと笑顔で、バージンロードを歩いてくれたのでした(^_^)
◆母親
伊達公子選手のお母さんは、尽くすタイプの女性。
いつでもお父さんのことを一番に考えて世話を焼き、それでいて、とても幸せそうでした。
結婚した公子さんは、
夫婦とはそうでなければならない!
と考え、完璧な家事を目指しますが、思い通りにいかず、イライラしてしまいます<`ヘ´>
しかし、やがて
なんでも完璧にこなせなくていいんだ(^_-)
と気がついて、心が軽くなったそうです。
理想とするお母さんは偉大ですが、それぞれの生き方があるのですね。
お母さんは大津の実家で、今でも元気に暮らしています。
◆兄弟はいる?
伊達公子さんは、3人きょうだいの末っ子で、兄と姉がいます。
お兄さんの名前は、伊達隆介さん。[1]
お姉さんの名前は分かりませんが、年齢は2歳年上になります。
3人きょうだいの中でテニスをやっているのは、公子さんだけだそうです。
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