「悲運の最強大関」と称される稀勢の里(きせのさと)関。
今回は、稀勢の里関を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家は茨城県牛久市
稀勢の里関の実家は、茨城県牛久(うしく)市。
もともと、兵庫県芦屋市で生まれ、2歳の時に茨城県龍ケ崎(りゅうがさき)市に引っ越してきました。
龍ケ崎市立松葉小学校に入った稀勢の里少年は、相撲が好きで、よくテレビで観戦をしていたそうです。
中学2年生時に茨城県牛久市へ引っ越しますが、転校はせず、龍ケ崎市立長山中学校を卒業しました。
相撲以外では、小学校4年生から野球をやっており、中学1年からは投手を務めています。
中学3年の時には常総学院などの強豪校からの勧誘もありましたが、
自分はでかいだけ。野球は、うまくない
と断ったそうです。
同じころ、
「体の大きな中学生がいる」
という噂を聞きつけた鳴門親方が、再三実家に通い、本人と両親を角界へ勧誘。
難色を示す両親に、
素材は大関、横綱級。必ず親方株を取得できるように育て、自分の後継者にする
と口説き落とし、稀勢の里少年は、中学卒業と同時に角界へ飛び込んだのでした。
◆父親は元ボクサー
稀勢の里関のお父さんの名前は、萩原貞彦さん。
年齢は、今年(2017年)で71歳になります。
ちなみに、稀勢の里関の本名は、萩原寛(はぎわら ゆたか)さんです。
父・貞彦さんは、元アマチュアボクサーであり、稀勢の里関にパンチの指導をしたこともあるそうです。
競技は異なれど、格闘家としての血は、父親から受け継いだのでした。
2017年1月、稀勢の里関の初優勝の瞬間を、貞彦さんは自宅で見届けました。
先代の親方の薫陶を受けたからこそ。その感謝が真っ先に頭に浮かびました。それは本人も同じだと思う
と、2011年11月に亡くなった鳴戸親方に、感謝の意を示しています。
◆母親の名前は?
稀勢の里関のお母さんの名前は、萩原裕美子さん。
年齢は、お父さんより9歳年下なので、62歳となります。
めったに国技館に足を運ばない
という母・裕美子さんですが、初優勝を決めた翌日の千秋楽は、息子の晴れ姿を生で観戦する予定です。
◆兄弟は姉がいる
稀勢の里関にはお姉さんがいて、名前は央恵(ひさえ)さん。
年齢は、稀勢の里関より1歳年上です。
「竜ケ崎みどり幼稚園」にお姉さんと一緒に入園した稀勢の里少年は、とにかく昼寝が嫌いで、外遊びに熱中し常に動き回っていたのだとか。
お姉さんはおとなしい方なのでしょうか?
◆結婚は?
稀勢の里関は、今年(2017年)で31歳になりますが、今のところ独身。
最近のインタビューでも
「(彼女は)いないです」「(結婚は)まだ考えていないです」
とこたえており、今は相撲道に集中しているようですね。
しかし、稀勢の里関は、すでに年寄株(親方になる資格)を取得しており、お嫁さんは自動的に「女将さん」になります。
部屋を切り盛りできる、しっかりした女性を探しているのでしょう(^_-)
2022年4月追記
2022年4月26日、稀勢の里さんが結婚していたことが明らかになりました。
お相手は、6歳下の一般女性。
2019年に知り合い、コロナ下で急接近しゴールインとなりました。
稀勢の里さんは奥様について、
尊敬できる人。一緒にいて居心地がいい
と話しています。
◆まとめ
稀勢の里関の「角界の父」である、元横綱・隆の里、のちの鳴戸親方。
2011年11月、鳴門親方は、急性呼吸器不全により、福岡市内の病院で急逝しました。
稀勢の里の四股名は、
「稀(まれ)なる勢いをつくってほしい」
と、鳴門親方が名付けてくれたもの。
「悲運の最強大関」は、親方の思いを胸に、幾度目かの綱取りに挑戦します。
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