らさーる・いしい【ラサール石井】
1955年〈昭和30年〉10月19日生まれのお笑いタレント・俳優・演出家。
◆実家・生い立ち
ラサール石井さんは、大阪府大阪市住吉区出身。
大阪市立住吉小学校、大阪市立住吉中学校を卒業後、鹿児島県の私立ラ・サール高等学校に進学しました。
芸名「ラサール」は、この名門校の名にちなんで名付けたものです。
その後、早稲田大学第一文学部へ進学。
在学中から演劇活動を始め、1977年に「コント赤信号」としてデビュー。
以降、テレビ・舞台・映画・演出と多方面で活躍を続けています。
石井さんは、兄と姉がいる3人きょうだいの末っ子として育ちました[5]。
実家は祖父の代に創業した惣菜店で、父親がその商売を引き継ぎ、母とともに切り盛りしていました[5]。
1970年頃からはおじがうどん店を開業し、現在は兄が「帝塚山めん処 いし井」を営んでいます[2]。
子どものころからテレビのお笑い番組が大好きで、三木のり平さんや大村崑さんに憧れ、物まねを披露していたそうです。
将来はお笑い芸人になりたかったものの、中学校に入ると

自分よりも面白いやつがたくさんいる
と感じて一度は夢を断念したと語っています[5]。
◆父親
ラサール石井さんの父親については、名前・生年月日・職業など詳細な情報は公表されていません。
祖父の惣菜店を継いでいたことが明らかになっています[5]。
◆母親
母親の名前や生年月日は不明ですが、石井さんは

実家に帰ると母が『おうどん、食べるか』と出してくれた
と懐かしそうに語っています。
母はあんかけうどんが好物で、石井さんは子どものころからきつねうどんが好きだったそうです[2]。
◆兄・石井巧
兄の名前は石井巧(いしい・たくみ)さん。
生年月日は非公表ですが、現在は「帝塚山めん処 いし井」を経営しています。
祖父が考案した出汁の味を大切に守り、自家製のうどんや惣菜が地元で長く愛されています[2]。
◆姉
ラサール石井さんには姉もいます。
名前や生年月日は明らかにされていませんが、兄・姉に囲まれた三きょうだいの末っ子として育ち、家族のなかで感性とユーモアを育んでいったようです[5]。
◆前妻
ラサール石井さんは、1979年〈昭和54年〉に劇団「テアトル・エコー」の養成所で出会った女性と結婚しました。
早稲田大学在学中に一目ぼれしたというこの女性は、下積み時代の石井さんを32年間にわたって支え続けました。
2人の間には娘が2人おり、当時26歳と25歳でした[6]。
しかし1995年〈平成7年〉ごろから石井さんが多忙になり、都心にマンションを借りて1人暮らしを始めたことで、15年間に及ぶ別居生活が続きました。
2010年〈平成22年〉12月に離婚協議がまとまり、2011年〈平成23年〉1月に正式に離婚届が提出されました[6]。
◆妻
現在の妻の名前は桃圭(ももか)さん。
生年月日は非公表ですが、石井さんより32歳年下です。
2人は2012年に結婚し、翌2013年にはテレビ番組で夫婦そろって出演。
年の差婚ながらも、互いを尊重し合う関係を築いているようで、石井さんは桃圭さんの門限を守るなど、ユーモアと愛情のある日常を明かしていました[7]。
◆娘が2人
ラサール石井さんには、前妻との間に2人の娘がいます[6]。
現在の妻・桃圭さんとの間には子供はいません。
石井さんは

家庭のかたちは人それぞれ。思いやりがあればそれが家族
と語り、現在の生活を大切にしています[4]。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、ラサール石井さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
惣菜店を営んだ両親、出汁の味を守る兄、静かに見守る姉、下積み時代を支えた前妻、そして今の人生をともに歩む32歳年下の妻・桃圭さん。
それぞれの存在が、石井さんの知性とユーモア、そして深い人間性を育んできたのです。
家族の応援を胸に、ラサール石井さんの挑戦はこれからも続いていきます(^o^)丿
◇出典
- PHP研究所 2011年6月22日 人生で大切なことは手塚治虫が教えてくれた
- 週刊ポスト 2016年1月28日 実家がうどん店 ラサール石井が語る関東と関西のうどんの差
- 日刊スポーツ 2012年2月12日 ラサール石井、22歳年下女性と結婚
- スポーツ報知 2012年2月13日 「年の差婚」ラサール石井、子供は「授かりもの」
- 定年時代埼玉版 令和6年4月号 「憧れの舞台」で、戦争の真実問い直す 俳優・演出家 ラサール石井さん
- 日刊スポーツ 2011年1月25日 ラサール石井離婚 結婚32年別居15年
- デイリースポーツ 2013年12月1日 ラサール石井、32歳年下の妻から門限
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