「塩爺(しおじい)」の愛称で親しまれた元政治家、塩川正十郎さんが、逝去されました。
今回は、塩川さんの人生を取り囲んだ「家族」に、スポットを当ててみたいと思います。
◆父は政治家?
塩川正十郎さんのお父さんは、旧布施市(現・東大阪市)市長を務めた塩川正三さんです。
市長時代の塩川正三さんの功績は様々ありますが、近鉄奈良線の布施~河内小阪間に「ひとのみち駅(現・河内永和駅)」を開設したのもその一つと言えます。
塩川さんが、旧制中学を卒業し、郷里の高等学校にでも行こうかと考えたところ、父・正三さんはこう言い放ちます。
「田舎の学校へ行ったってしょうがない。都会の、それも慶應へ行け。慶應へ行くんだったら、経済じゃないか。それ以外は、あかんぞ」
《この方も慶應の経済です!》
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それで、慶應の経済学部に入学してしまう塩川さんも、かなり優秀だったのでしょうが、父・正三さんにも先見の明がありますね!
◆母は名家の出身?
塩川正十郎さんのお母さんは、和歌山県紀の川市にある「粉河寺(こかわでら)」の娘であったと言われています。
粉河寺は、西国三十三所の寺院の中で最大級の堂を持ち、発祥の由来をつづった『粉河寺縁起絵巻』は国宝とされています。
何と、清少納言の『枕草子』にも登場しているという、由緒正しきお寺なのです。
◆弟は学者?
塩川正十郎さんの弟さんは、大阪大学工学部の教授を務めた塩川二朗さんです。
応用科学分野で実績を残し、1988年に紫綬褒章を受章しますが、2010年8月、ごえん性肺炎のため、86歳で亡くなりました。
◆妻も名家の出身?
塩川正十郎さんの奥さんは、塩川鈴子さん。
鈴子さんは、兵庫県伊丹市で貿易業を営む、服部保太郎氏の長女として生まれ、塩川さんと大恋愛の末、1954年に結婚しました。
1967年、大阪府布施市(現・東大阪市)助役から衆院選出馬を決断した夫に、最初は強く反対したそうです。
しかし、議員に当選してからは、「夫の選んだ道だから」と納得し、35年間にわたり、黙って陰で支え続けました。
選挙の際にも夫の遊説には同行せず、選挙区で汗を流す運動員のため、「真心のこもった弁当をつくる」という裏方に徹したそうです。
「あの奥さんがあって、塩さんがあった」と、周辺の人物は一様に語っています。
◆息子は政治家?
塩川正十郎さんの長男は、塩川耕士(こうし)さん。
塩川さんの政治的な後継者は、衆議院議員の宗清皇一氏なので、息子さんは政治家にはなっていないようです。
近鉄バスの社長さんが塩川耕士さんとおっしゃるようなので、実業界に行かれたのかもしれませんね。
塩川さんには、長男の他に1男1女がいらっしゃいます。
◆孫も政治家に?
そして、塩川さんにはお孫さんもいらっしゃるようで、お話に度々登場します。
以前は、孫から「おじいちゃん」と呼ばれていましたが、「塩爺」というあだ名が有名になると、孫からも「塩爺」と呼ばれるようになりました。
現在、何をされているのかは分かりませんが、塩川家は代々政治家の家系。
一人くらいはお爺さんの跡を継いで、政治の道を志してほしいですね!
◆先祖の家系とは?
塩川家は政治家の家系と書きましたが、塩川家のルーツは1300年前、河内国渋川郡の長者・塩川左大夫にまでさかのぼるそうです。
戦国時代には、摂津の国人領主で山下城を本拠とした、戦国武将・塩川氏としてその名を残しています。
父・塩川正三さんが、布施市長の職に就き、子・正十郎さんが布施を地盤に国政に出たのも、歴史の必然だったと言えるでしょう。
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◆まとめ
大恋愛の末結ばれ、長年支えてくれた最愛の奥さんは、2002年9月、75歳で先に旅立っていました。
「私に自由に政治活動をさせてくれた。ここまで政治家としてやってこられたのは、女房のお陰です」
塩川さんは葬儀で、嗚咽で言葉を詰まらせながら、参列者に語りかけました。
今頃、奥さんとの再会を、天国で楽しんでいることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
コメント
塩川正十郎は、和宮親子内親王=天璋院篤姫と徳川家茂の末の三つ子。第84子
第85子 三笠宮崇仁親王(内親王)
第86子 昭和天皇
彼らが2歳の時 目の前で両親と年子の三つ子の姉2人が暗殺された。愛新覚羅。
2つ上の三つ子の兄たち
初代総理大臣 吉田茂
KOKUYOの実質的な設立者 黒田璋之助
Panasonicの設立者 松下幸之助
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