インターネット事業を中心に企業グループを率いる実業家、熊谷正寿(くまがい・まさとし)さん。
今回は、そんな熊谷さんを取り巻く『家族』の物語です。

◆家族構成・家系図
熊谷正寿さんの家族は、父親、母親、本人、異母兄、異母弟という構成です。
熊谷さんは20歳で結婚し、21歳で父親になりました。
妻や娘の名前など、詳しいプロフィールは公表情報から確認できませんが、若い頃に妻子を養いながら働き、学び、起業を目指したことを本人が語っています。
◆実家・生い立ち
熊谷正寿さんは、長野県で生まれました。
中学校時代はほとんど勉強していませんでしたが、志望校を担任の先生に否定されたことをきっかけに猛勉強。
國學院大學久我山高等学校に首席で入学します。
しかし、入学後は勉強への意欲を失い、2年生の夏に高校を中退しました。
その後、父親が営む事業を手伝うようになります。
18歳になる前、長野県のパチンコ店で店長が急きょ退職し、店舗の運営が難しくなったことを知った熊谷さんは、自ら立て直しを申し出ました。
店内の清掃や従業員教育に取り組み、お客様を増やすための工夫を重ねます。
その結果、業績不振だった店舗を地域一番店へと成長させました。
若くして経営の現場を経験したことは、後の起業にもつながっていきます。
◆父親は厳格な事業家
熊谷正寿さんの父親は、事業家の熊谷新(くまがい・あらた)さんです。
父親はアミューズメント事業などを手がけ、熊谷さんは若い頃からその仕事を手伝っていました。
二世の経営者と聞くと、親の財産や人脈に恵まれた環境を想像するかもしれません。
しかし、熊谷さんの若い頃の生活は厳しいものでした。
父親から求められたのは、
一番安い給与で一番働いて、他の社員の手本になれ
という姿勢でした。
仕事をしながら通信制の大学で学び、学費も生活費も自分で稼ぐ日々。
熊谷さんは当時、肉体的にも精神的にも、そして経済的にも苦しかったと振り返っています。
一方、父親は仕事に関する知識だけでなく、読書の大切さも教えていました。
人の一生を数時間で疑似体験できるのが書物。だからこそ本を読み、生涯にわたって学び続けるように――。
厳しい仕事の要求と、学ぶことへの教え。
父親との関係は、熊谷さんの仕事観を形づくる一つの土台となりました。
1991年〈平成3年〉に熊谷さんが起業した際も、父親はその挑戦を後押ししたといいます。
当時、熊谷さんが考えたのは、電話会議装置を使った新しいサービスでした。
電気や交換機の仕組みを図書館で学び、秋葉原で部品を買い、自分で機材を製作しました。
周囲には理解されにくかった構想でしたが、父親は「やってみたら」と背中を押したそうです。
厳しく鍛えた父親が、息子の挑戦を認めた瞬間でした。
◆母親と祖母
熊谷正寿さんの母親については、名前や生年月日、具体的なエピソードを確認できる公開資料が見つかっていません。
一方、祖母の名前は貞子(さだこ)さんです。
熊谷さんは、祖母から礼儀や人としての基本を学んだことを語っています。
仕事に厳しい父親とはまた違った形で、幼い熊谷さんの成長を支えた存在でした。
◆兄弟は異母兄と異母弟
熊谷正寿さんには、異母兄と異母弟がいます。
熊谷さんは、後になって、自分より数か月早く生まれた同い年の異母兄がいることを知りました。
また、1歳半ほど年下の異母弟もいると明かしています。
父親には複数の家庭があり、熊谷さんは父親との関係について、複雑な思いを抱えていたことも語っています。
経営者として成功した現在の姿からは見えにくい、家族との関係に悩んだ時期もあったのです。
◆妻との結婚は20歳
熊谷正寿さんは、20歳で結婚しました。
当時は父親の会社で働きながら、通信制の大学で学び、妻との生活を支えていました。
仕事、勉強、家庭生活を同時に担う日々。
経済的にも余裕がなく、住んでいたアパートも古く、生活は決して楽ではありませんでした。
妻の名前や職業などは公表情報から確認できませんが、熊谷さんが人生の目標を真剣に考えるようになった背景には、妻との暮らしがありました。
◆子供は娘が誕生
熊谷正寿さんには娘がいます。
21歳で父親になった熊谷さんは、若くして一家を支える立場になりました。
娘の名前や生年月日は確認できませんが、娘の誕生日を大切にしていることがうかがえるエピソードがあります。
2015年には、娘の誕生日に1985年産のワインを用意したことを、自身の公式サイトで紹介しています。
娘が生まれた年のワインを選び、誕生日を祝う。
忙しい経営者としての顔とは別に、家族の節目を大切にする父親の姿が見えてきます。
◆エピローグ
熊谷正寿さんが21歳の頃、夜遅くに帰宅すると、妻がアルバイト情報誌を手に泣いていました。
理由を尋ねると、妻は、お金がないので子供を保育所に預けて働き始めるつもりだと話しました。
自分を信じて結婚してくれた妻を、経済的な苦労から泣かせてしまった――。
熊谷さんは、そのときの苦しみを振り返り、それまでの苦労以上に悩んだと語っています。
そして、自分の人生を変えるために始めたのが、手帳に夢を書き出すことでした。
生涯を通じて実現したいことを一つずつ書き出し、目標を整理する。
やがて、その手帳には「35歳で上場する」という具体的な目標も記されました。
1991年〈平成3年〉に起業した熊谷さんは、1999年〈平成11年〉、35歳で会社の上場を実現します。
妻の涙を目にした夜から始まった、夢への挑戦。
あのとき、妻がアルバイト情報誌を手にしていなければ、熊谷さんは同じ時期に人生を見つめ直していたでしょうか。
その答えは分かりません。
ただ、家族を支えたいという思いのなかで、自分の人生を変える目標を見つけ、行動を積み重ねていったことは確かです。
若き日の熊谷正寿さんにとって、家族との暮らしは、夢を描くきっかけであり、挑戦を続ける原動力でもあったのでした。
◇出典
- SankeiBiz 「時代の人 GMOインターネット株式会社 代表取締役会長 兼 社長 グループ代表 熊谷正寿氏 インタビュー」
- ドリームゲート 「第17回 GMOインターネット株式会社 熊谷正寿」
- アエラスタイルマガジン 2019年9月25日 「ニッポンの社長、イマを斬る 熊谷正寿インタビュー[前編]」
- NTT西日本 Biz Clip 「祖母が自己肯定感を育んだGMO熊谷正寿氏(前編)」ほか本人の家系に関する公開資料
- 熊谷正寿公式サイト 2015年5月14日付「娘の誕生日に生まれ年のワインでお祝い」




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