日本維新の会に所属する参議院議員、鈴木宗男さん。

疑惑の総合商社と呼ばれました!
今回は、そんな宗男さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1948年〈昭和23年〉1月31日
血液型:B型 [1]
出身地:北海道足寄郡足寄町
出身大学:拓殖大学政経学部
◆実家・生い立ち
鈴木宗男さんは、北海道足寄郡足寄(あしょろ)町の出身。
実家は農家で、

当時では中くらいの規模だった
ということですが、両親が毎日朝から晩まで働いても、生活が楽になることはありませんでした。
食事は、米に麦とキビを混ぜたご飯に漬物とみそ汁。
ランプで灯りをとり、暖房と言えば薪ストーブで、家に電気が通ったのは13歳の時でした。
そんな折、修学旅行で訪れた東京はまるで別世界でした。
舗装された道路に、見たこともないほどの数の人。
縦横無尽に走る鉄道に、空を見上げれば高層ビルが立ち並ぶ姿。

これが同じ日本なのか…
都会と田舎の格差に大きな衝撃を受けると同時に、

この差を少しでも埋めることができるとしたら、それは政治の力だ
と考えたのが原点となりました。
高校は、北海道足寄高等学校へ進学。
同じ高校で8学年下の松山千春(まつやま・ちはる)さんとは、選挙に協力するなど厚い親交があります。
高校卒業後は上京し、拓殖大学政経学部へ進学しました。
在学中に、同郷の中川一郎(なかがわ・いちろう)元農林水産大臣の秘書になるチャンスをつかむと、大学卒業後も名物秘書として鳴らします。
1983年、中川氏の急逝を受けて衆議院選挙に立候補し、初当選を果たしました。
◆家族構成
鈴木宗男さんの実家の家族構成は、父親、母親、兄、宗男さん、妹の5人家族です。
自身は職場結婚しており、長男、次男、長女と3人の子供に恵まれています。
◆父親
鈴木宗男さんの父親は、宮城県栗原郡志波姫(しわひめ)町(現:栗原市)の出身。[1]
「宗男」という名前の由来は、宮城県の英雄、伊達政宗(だて・まさむね)公から一字をもらっています。
宗男さんは高校卒業後、いったんは地元の炭鉱への就職を決めていましたが、

どうしても東京で立身出世に挑みたい
と、父親に申し出ます。
お父さんは、仕事の要である“馬”を売ってお金を工面し、大学へ進学させてくれました。
しかし大学へ入ってすぐ、宗男さんが19歳の時にお父さんは亡くなっています。
◆母親
鈴木宗男さんの母親の名前は、鈴木きよみさん。[2]
母・きよみさんも宮城県登米(とめ)の出身なので、宗男さんのルーツは実は宮城県なんですね。
きよみさんは大正9年生まれで、大正人特有の我慢強さがある方でした。
朝早くから日が沈むまで働き、

学芸会でウサギの役をするから白いセーターが必要だ
と言ったら、ひと晩寝ずに編み上げてくれました。
お父さんが亡くなってからは自分の着物を質に入れてまで、仕送りを続けてくれました。
そんなお母さんは、2004年4月6日に、83歳で亡くなりました。

「ありがとう」と言えなかった私はバカだったなぁ
宗男さんは少しだけ後悔しています。
◆妻・典子さん
鈴木宗男さんの奥さまの名前は、鈴木典子さん。
典子さんとの出会いは、下宿先の大家さんから、
知り合いの女子学生の就職相談に乗ってくれないか?
と頼まれたことでした。
宗男さんは、

秘書がいいよ
と、中曽根康弘(なかそね・やすひろ)さんの事務所を紹介します。
2年後、宗男さんが努める事務所に移ったこの女性が、後に妻となる典子さんでした。
仕事はテキパキこなし、愛想も良く、お客さんや後援会の評判も良い典子さん。
事務所代表の中川一郎さんは典子さんを気に入り、
鈴木君と一緒にさせよう
と考えます。
やがて、2人が結ばれたのは、ある必然だったのかもしれませんね。
◆2人の息子
鈴木宗男さんの長男の名前は、鈴木一郎(すずき・いちろう)さん。[3]
次男は、鈴木行二(すずき・こうじ)さんです。[3]
長男の一郎さんは、2010年05月31日に東京の全日空ホテルで結婚式を挙げました。
次男の行二さんは、その4年前の2006年9月3日に、東京信濃町の明治記念館で結婚式を挙げています。
◆後継者は娘・鈴木貴子
鈴木宗男さんの娘は、衆議院議員の鈴木貴子さんです。
生年月日:1986年〈昭和61年〉1月5日
出身地:北海道帯広市
出身大学:トレント大学(カナダ)
宗男さんが公民権停止中の2012年。
衆議院の解散が行われたときに白羽の矢が当たったのが、末っ子で女性の貴子さんでした。
兄2人も、

やれと言ったらやり切れると思います
と宗男さんが言う通り、政治のセンスがある人物です。
しかし貴子さんは、それ以上に政治に向いていると判断されたのでした。
衆院選では敗れた貴子さんでしたが、翌年、他の議員が辞職したことにより繰り上げ当選を果たします。
初登院のとき貴子さんは、
私は父を超えてはじめて地元に恩返しができると思っています。高い壁ですが乗り越えてみせます
と、抱負を語っています。
鈴木貴子衆院議員、日露平和条約交渉「日露両首脳が決断できる環境整備を」 https://t.co/jsYW2MpgQm @Sankei_newsより
— カゲロウ (@Kagerou_Kazoku) March 9, 2022
◆まとめ
鈴木宗男さんの母・きよみさんが亡くなったのは、宗男さんがあっせん収賄容疑で逮捕され、保釈されているときでした。
きよみさんは最期に、
母ちゃんは悪いことをする子供は産んでいない。宗男、もう1回国会へ行け!
という言葉を残して、天国へ旅立っています。
この言葉で奮起した宗男さんは新党大地を立ち上げ、国会に戻ることができました。
これからも家族への思いを胸に、宗男さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- Wikipedia 2022年3月9日確認 鈴木宗男 その他
- 週刊ポスト 2016年7月19日 鈴木宗男氏の母 最期の言葉は「もう1回国会へ行け!」
- 首相官邸ホームページ 2022年3月9日確認 内閣官房副長官 鈴木宗男 家族
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