わかりやすく、感情がこもっているサッカー解説者と言えば、都並敏史さんを外せませんね。
元日本代表のDFで、現在は長友佑都選手が主戦場とする左サイドバックで長年活躍していた選手でもありました。
現在の優しそうな面持ちからは想像できませんが、現役当時は「狂気のサイドバック」と異名を付けられる程、激しいプレーが特徴でした。
ロシアW杯では解説者として日本代表の戦況をお茶の間に届けてくれています。
今回は都並敏史氏の『家族』についてまとめていきます。
【本人プロフィール】
氏名:都並敏史(つなみ・さとし)
生年月日:1961年8月14日(56歳)※2018年6月現在
出身地:東京都世田谷区
身長/体重:173cm/65kg
現役時代所属チーム:
読売クラブ/ヴェルディ川崎(JSL、Jリーグ:1980-1995)
→アビスパ福岡(J リーグ※J!,J2が無かった時代1996-1997)
→ベルマーレ平塚(Jリーグ:1997-1998)
◆都並敏史の家族構成
都並敏史氏の実家の家族は、両親とお兄さんの4人家族でした。
都並さん自身の家族は、奥様と二人の息子さんです。
◆大和撫子のお嫁さん
都並敏史氏のお嫁さんは、JリーグOB会などの飲み会には、積極的に参加しているようです。
夫婦で焼酎を楽しんだりと、奥さんはお酒が嫌いではなさそうですね(*^_^*)
都並さんは休みの日には、お嫁さんや息子たちと一緒に焼肉に行くのが楽しみだとも語っていました。
都並氏は中学2年生の時に付き合っていた初恋の彼女がいたそうですが、
“サッカーの邪魔になる”
という理由で別れたそうです。
初恋とサッカーを天秤にかけて、サッカーを取るような人ですから、お嫁さんはサッカーの邪魔にならないように気を付けているのかも知れませんね。
表には出ませんが、しっかりと夫を支える大和撫子なのではないでしょうか?
◆父の背中を追う息子たち
都並敏史氏の息子さんたちは、現役のサッカー選手です。
長男の智也さんは2016年からはお父さんである敏史氏がテクニカルディレクターを務める、『ブリオベッカ浦安』(関東1部リーグ)というチームに所属していました。
現在は茨城県にある関東2部リーグの『アイデンティみらい』でJリーグ加盟を目指して奮闘しています。
弟の優太さんは大学サッカーの強豪、関西大学出身を経てJ3の『AC長野パルセイロ』に所属。
いつかお父さんが監督で、息子達がJリーグや日本代表で活躍する日がくるかも知れませんね。
◆元軍人の父の厳しい教え
都並敏史氏のお父さんは一般人ということもあり、お名前は公開されていません。
元軍人で、子供の頃はとても厳しく躾けられたそうです。
普通の家庭では、いたずらをしたり、悪いことをしたらお尻を叩かれたりするのが普通でしたが、都並家では、まさかの「ほふく前進」おしおきだったそうです。
しかも、お兄さんがおしおきされるときには、なぜか連帯責任で弟の都並氏も「ほふく前進」をさせられていたとインタビューで語っていました。
狂気の左SBと呼ばれた闘争心は、ここから生まれたのかも知れませんね。
◆兄はミュージシャン!?
都並敏史氏のお兄さんは、サッカー選手ではなく音楽を生業にしています。
元ビブラストーンというヒップホップバンドで、トランペットを担当していました。
まだ日本にヒップホップが根付いていないころの昭和61年に結成されたバンドで、今でいうDJ混合のミクスチャーバンドの先駆けとも言われている伝説的なバンドです。
現在はトランぺッター兼音楽評論家として活躍しています。
◆まとめ
ロシアW杯では解説者兼サポーターとして日本代表に熱い声援を送っている都並敏史氏。
闘争心を日本中のサポーターに向けて発信してくれることでしょう。
これからも家族のため、都並さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
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