歌手やタレントとして関西で絶大な人気を博した、やしきたかじんさん。
浪速の視聴率男と呼ばれました!
今回は、そんなたかじんさんと時間を共有した『家族』の物語です。
本 名:家鋪隆仁(やしき・たかじ)
生年月日:1949年〈昭和24年〉10月5日
没年月日:2014年〈平成26年〉1月3日
家族構成:①実 家…父親、母親、兄、長弟、末弟
②独立後…元妻(離婚)、長女、前妻(離婚)、妻
◆勘当されていた実家
やしきたかじんさんは、大阪市西成区の出身。
小学校は地元の大阪市立岸里(きしのさと)小学校に通いました。
小学生のころは野球に熱中し、強豪チームに所属していました。
大阪市立成南(せいなん)中学校に進学後も野球部に所属し、主将、捕手、四番打者をつとめる中心選手として活躍します。
桃山学院高等学校でも野球部に入りますが、肘を痛めて3カ月で退部すると、新聞部に転身。
新聞記者に憧れ、朝日新聞社主催の全国新聞コンクールに入選したこともありました。
実家は裕福で、順調に成長したかに見えるたかじんさん。
しかし実は、たかじんさんは両親との折り合いが悪く、実家からは勘当されていたといいます。
たかじんさんと両親の間に、一体何があったのでしょうか。
◆実業家の父親
①半島出身の父
やしきたかじんさんの父親の名前は、権三郎(ごんざぶろう)さん。
父・権三郎さんは、1962年に朝鮮半島で生まれ、14歳の時に大阪に渡ってきました。[1]
当時の時代背景から、父親は子供たちの将来を案じ、日本人の母親とは籍を入れませんでした。
このため、たかじんさんは母親の私生児扱いとなっています。
そんな父・権三郎さんは、息子の命名を知人の易者に依頼しました。
易者は「隆仁(たかひと)」という名前を提案しますが、父・権三郎さんが、
天皇陛下の「仁(ひと)」を使うとは畏れ多い
と考え、「隆仁(たかじ)」と命名しています。
②父親との確執
父親は、パチンコ店や社員400人をかかえるステンレス会社の社長などを務めていましたが、2度倒産を経験するなど浮き沈みもありました。
父親はたかじんさんに実業家への夢を託しますが、たかじんさんの当時の夢は新聞記者。
この頃から、父親と息子との間にわだかまりが生じてきます。
高校卒業後、たかじんさんは早稲田大学の新聞学科を受験するも不合格。
仮面浪人で桃山学院大学経済学部に入学しますが、怒りの収まらない父親は自ら大学へ退学届を出し、
家を出ていけ!
と勘当を宣言しました。
◆日本人の母親
やしきたかじんさんの母親の名前は、家鋪光子(やしき・みつこ)さん。
前述のとおり、母親は日本人で、父親とは入籍していません。
「家鋪」という苗字は、母方の姓だそうです
父親と折り合いが悪かったたかじんさんは、母親との関係も悪く、「憎んでいた」と発言したことがあります。
母・光子さんは、2014年5月、胃がんにより亡くなっています。[3]
◆4人兄弟の次男
やしきたかじんさんは、男ばかり4人兄弟の次男として生まれました。
①兄
やしきたかじんさんのお兄さんの名前は、家舗秀王(やしき・ひでお)さん。
父親の跡を継いでステンレス会社の社長を務めましたが、会社は倒産してしまいました。
兄・秀王さんは、亡くなられているようです。[3]
②長弟
やしきたかじんさんの長弟の名前は、家舗良行さん。
年齢は、たかじんさんより4歳年下になります。
良行さんは、2015年2月3日に行われた「やしきたかじんを偲ぶ会」で挨拶に立ち、
(たかじんさんは)外では疎遠的なことを言うてたけど、本当は親族を大事にしてくれていた。そういったことを分かってくれたら
と、家族の結束を訴えています。
③末弟
やしきたかじんさんの末弟の名前は、家鋪渡(やしき・わたる)さん。[4]
1955年生まれなので、たかじんさんより6歳年下になります。
末弟の渡さんは、関西大学社会学部を中退。
たかじんの影響で音楽のプロを目指しますが、たかじんの歌を聞いて「自分とは格が違う」と断念しました。
1977年に父親が経営するステンレス会社に入社。
1994年、会社は倒産しますが、スポンサーが現れ『岸和田ステンレス株式会社』として再建しました。
1997年からは、同社の社長をつとめています。
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