自身、三度目のジャイアンツ監督を務める、原辰徳さん。
今回は、日本球界のスターとして走り続けた原監督を育み、支えてきた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1958年〈昭和33年〉7月22日
身長体重:181cm/88kg
血液型 :A型
出身地 :神奈川県相模原市
◆父親:原貢
原辰徳監督のお父さんの名前は、原貢(はら・みつぐ)さん。
1935年3月30日生まれで、鳥栖工業高等学校、立命館大学と進み、ノンプロの東洋高圧大牟田(現・三井化学)で野球選手として活躍しました。
福岡県立三池工業高等学校の野球部監督に就任すると、無名校を初出場にして高校野球全国大会優勝へと導き、三池工フィーバーを起こします。
その実績と生き様に感銘を受けた、東海大学の松前総長の招きで、東海大学付属相模高等学校野球部監督に就任しました。
そして、1974年に長男・辰徳氏が東海大相模に入学すると、「親子鷹」として話題になります。
しかし、親子としての甘えは一切許さず、息子には何度も鉄拳を浴びせ、悶絶する我が子の顔面をスパイクで踏みつけました。
当時の辰徳さんは、お父さんに
あのクソ親父、殺してやろうか
と、殺意を抱いていたそうです。
そんなお父さんですが、年末に寮から実家へ帰省した時は、まったく野球の話をしませんでした。
食卓で一緒に座ると、
おい、これも食べろよ
と言って笑いながら、目の前に並んだおかずを勧めてくれます。
野球部での態度とあまりにも違うことに、辰徳さんは戸惑いながらも、こう思ったそうです。
ああ、やっぱり俺のことをいちばん思ってくれる大切な親父なんだな…
◆母親:原勝代
原辰徳監督のお母さんの名前は、原勝代さん。
お母さんは、九州人のようで、お父さんと一緒に神奈川県に引っ越した頃は、夕方になると九州の方角を見ながら、涙を流していたそうです。
しかし、持ち前の明るさを発揮し、スポーツ記者さん達にも大人気のお母さんでした。
お正月の午前3時に、原家で大山神社の初詣に記者が同行しても、嫌な顔ひとつせず歓待してくれました。
そんなお母さんですが、一度だけ、お父さんに意見をしたことがあります。
お父さんは、辰徳さんを贔屓していると見られるのを避けるため、高校時代は主将に任用しませんでした。
東海大でも、同じ方針を示すお父さんに、こう言い放ちます。
タッチンはあなたのために十分尽くしている。もうどこに出しても恥ずかしくない。堂々と主将にしてあげてください
この意見が影響したのかは分かりませんが、辰徳さんはその後、東海大の主将に任命されました。
◆妹:菅野詠美
原辰徳監督には妹がいて、名前は菅野詠美さん。
詠美さんは、プロ野球・原辰徳監督の妹であると同時に、プロ野球選手・菅野智之投手の母親でもあります。
菅野投手は、ジャイアンツの押しも押されぬエースとなりますが、ここまでの選手になれたのは詠美さんのおかげ。
幼い頃、
プロになって、智之のカッコいい姿を見せてね
と詠美さんに言われ、頑張ってきたのだそうです。
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