坂本勇人の『家族』~父親と三兄弟の絆…病の母に捧げたホームラン

読売ジャイアンツでキャプテンを務める、坂本勇人選手。

子供のころはピッチャーで、マー君を座らせて投げてました!

今回は、そんな坂本選手を育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

名  前:坂本勇人(さかもと・はやと)
生年月日:1988年〈昭和63年〉12月14
身長体重:186cm/80kg
血液型 :AB型
出身地 :兵庫県伊丹市
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◆実家で過ごした子供時代

坂本勇人選手の実家は、兵庫県伊丹(いたみ)市にあります。

野球に初めて触れたのは幼稚園のころで、伊丹市立昆陽里(こやのさと)小学校に入学するのと同時に、少年野球チーム「昆陽里タイガース」に入団。

坂本選手の後を追うように、他の子も入団してきて、

あっ、新しい子がおる!

と思ったのが、なんと元ヤンキースの田中将大(たなか・まさひろ)投手でした。

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しかも、小学校時代は坂本選手がエースで、田中投手を座らせて投げていたのだとか…(゚д゚;)

投げやすくて肩のいいキャッチャーでした。

と語る坂本「投手」は、田中「捕手」とのバッテリーで、小学6年の県大会で準優勝を果たします。

伊丹市立松崎中学校時代は、伊丹シニアに所属。

野球の才能は抜群で、中学2年生で関西選抜にも選ばれていた坂本選手には、地元兵庫の複数の強豪高校から誘いの声が掛かりました。

ところが、中学校側は、

推薦状を出せない

と推薦を拒否。

かなり、中学校でヤンチャを働いていたみたいですね…

何とか知人のツテを頼って、青森・光星学院への野球留学することを決意した坂本選手は、実家を離れ、寮生活をすることになりました。

寮生活にあこがれていましたし、朝から晩まで野球漬けになって、甲子園を目指したかった

意気揚々と乗り込んだ青森でしたが、そこで大きな壁が立ちはだかりました。

◆父親の職業は?

坂本勇人選手のお父さんの名前は、坂本喜代三さん。

父・喜代三さんの職業は、食肉の卸業と言われています。

「勇人」という名前は、

なんだかオトンが『所得倍増計画』を掲げた池田勇人首相の『はやと』って名前を、気に入っていた

という経緯で命名されました。

喜代三さんは、小学4年生くらいの坂本少年が、三遊間のゴロを、すごく軽やかにさばいたシーンを覚えています。

それを見た瞬間

もしかして、この子はプロに行けるのでは…

と思ったのだそうです。

しかし、坂本選手は高校進学後、大きな壁に突き当たります

それまで、自由奔放に野球と接してきた環境が一変。

午前6時半に起床、遅い時は午後11時まで白球に向かう生活は、坂本少年には耐えられませんでした。

深刻なホームシックにかかり、ヤンチャな中学時代を思い出し、鼻ピアスをつけて監督の前に現れたこともあります。

坂本選手は高校1年の冬、1年ぶりに帰郷した伊丹の実家で父・喜代三さんに打ち明けました。

野球をやめたい…

喜代三さんは、突き放します。

言い出したのはお前だ。やめるならやめろ

ますます、野球から離れていくかに見えた坂本選手の心を呼び戻したのは、仲間からの声でした。

「お前がやめたらオレたちの甲子園はどうなっちまう?」
「一緒にがんばろうや!」

再出発を決意して青森に戻った坂本選手に、もう迷いはありません。

坂本選手が3年生の時、チームは見事に甲子園出場。

1回戦で敗退したものの、自身は3安打を記録し、プロへの扉が開かれていきます。

◆病の母親に捧げたホームラン…

坂本勇人選手のお母さんの名前は、松村輝美さん。

名字が異なるということは、両親は離婚していたのでしょう

母・輝美さんは、若い頃は目立つ存在で、身長が高く「べっぴんさん」でした。

少年野球チーム「昆陽里タイガース」では会計係を務め、黒のベンツに坂本選手を乗せ、豪快に送り迎えをしていたそうです。

後には、子供なら12~13人乗れる「エルグランド」に買い替え、チームの移動に協力してくれました。

いくらエルグランドでもそんなに乗っちゃダメです

坂本選手の野球人生を後押ししてくれたお母さんでしたが、2007年にプロ入りした時には、既にガンに侵されていました。

2007年5月12日、兵庫県姫路市で行われた、イースタン・リーグの対北海道日本ハムファイターズ戦に、坂本選手は闘病中の母を招待します。

そして迎えた第1打席の初球、坂本選手はいきなりホームランを放ちました。

その後も二塁打を放つ息子の大活躍に、母・輝美さんは涙を流して喜んでいたそうです。

試合後に坂本選手は、

おかんの体調が悪いっていうのは聞いていたので、最後の試合になるだろうなと思っていた…

とコメント。

輝美さんは、この試合の約1ヶ月後に亡くなりました。

享年47歳でした。

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コメント

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