お笑いタレントの他、MCとしても活躍する、恵俊彰さん。
今回は、そんな恵さんを支える『家族』の物語です。
◆実家は大島紬の工場
恵俊彰さんは、鹿児島県鹿児島市の出身。
- 鹿児島大学教育学部附属小学校
- 鹿児島市立甲南中学校
- 鹿児島県立甲南高等学校
をそれぞれ卒業しています。
大学への進学を希望していましたが、3浪を経て最終的に断念し、東放学園専門学校の事務員として就職しました。
1987年、当時の渡辺プロダクションが立ち上げた若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY」のオーディションに合格し、芸能界入りしています。
そんな恵さんを育んだ実家は、大島紬の工場を営んでいました。
◆職人の父親
恵俊彰さんの父親の名前は、恵 美知雄さん。[1]
父・知雄さんは、鹿児島の伝統工芸である「大島紬織物」の職人で、恵大島紬織物株式会社を経営しています。
白く染める泥染めの「白恵泥」で、特許を取得しているそうです。
私生活の父親は、とても怖い存在で、家ではふんどし姿。
ギターの音がうるさいと、ギターで殴られて流血したこともあります。
生粋の職人さんですね
芸能界入りしたことを打ち明けた時は、勘当を言い渡されたそうです。
◆母親は京都出身
恵俊彰さんの母親の名前は、恵祥子さん。[1]
母・祥子さんは京都府京都市の出身だそうです。
お母さんは以前、恵さんの演技を「下手」だと言っていました。
しかし、恵美さんはTBSドラマ『下町ロケット』で存在感溢れる弁護士を好演。
お母さんも認めてくれるでしょう!
◆糟糠の妻・松本美貴
①妻との馴れ初め
恵俊彰さんは、1996年(平成8年)に31歳で結婚しています。[2]
奥様の名前は、松本美貴(旧名、まつもと・みき)さん。
年齢は、恵さんより2歳年下になります。
美貴さんとの馴れ初めですが、なんと美貴さんはホンジャマカのメンバーでした。
ホンジャマカって、最初は11人だったんですね
②弱気なプロポーズ
芸人として食えない下積み時代から、物心両面で支えてくれた美貴さん。
結婚前は、下北沢のアパートに住んでいましたが、月3万円の家賃を払うのにも苦労する日々。
当時交際中の美貴さんが会いにきてくれたときは、帰るタイミングを見計らって、
ねぇ、2,000円ぐらい、置いていかない?
と、お金をもらっていました。
結婚するときも、
結婚はするけど……。ごめん。幸せにできるかわからない
と弱気なプロポーズでした。
よく結婚してくれましたね
③糟糠の妻
恵俊彰さんは、TBS『ひるおび!』のMCを長年つとめています。
最初は低い視聴率に悩まされましたが、東日本大震災を機に、視聴率は上向いていきました。
実は震災後最初の『ひるおび!』で、恵さんは災害をどう伝えたらいいのか分かりませんでした。
その悩みを妻・美貴さんに打ち明けたところ、答えは明快。
世の不幸を全部背負ったみたいな顔で出演するのはやめてね。みんなあなたに励ましてほしいなんて思っていないし、あなたの一言で世の中が変わるなんて思っていないから
この一言で、「分かったような顔をせず、淡々と事実を伝える」という、恵さんの軸足が決まったのでした。[3]
下積みから現在まで、一貫して支えてくれた「糟糠(そうこう)の妻」に、恵さんはとても感謝しています。
◆4人の子供たち
恵俊彰さんには、4人の子供がいます。
第1子は長男の俊太(しゅんた)さんで、1997年(平成9年)生まれ。
第2子は次男の楓徒(ふうと)さんで、2004年(平成16年)生まれ。
第3子は長女の愛結(あゆ)さんで、2008年(平成20年)生まれ。
第4子は三男の暖真(はるま)さんで、2012年(平成24年)生まれ。
暖真さんが生まれた時は、奥様は45歳。
なんと予定日よりも1カ月も早く、しかも自宅で生まれてしまいました。
その時、恵さんは番組終了後の打ち合わせ中。
救急車を呼んでくれたのは、当時8歳の楓徒さんと、当時5歳の愛結さんでした。
今でも子供たちからは、
父ちゃんいなかったから本当に大変だったよ
と言われるそうです。
ちなみに、次男・楓徒さんは小学生からゴルフをやっています。
週に1回 ゴルフ練習場に同行する恵さんは、
一週間で一番 楽しい時間です
と話していました。
◆まとめ
これまで見てきた通り、恵俊彰さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、恵さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- NHK総合ファミリーヒストリー 2016年9月29日放送 恵俊彰〜家族を支えた大島紬(つむぎ) “恵”姓の謎〜
-
女性自身 2019年10月16日 恵俊彰 妻への感謝語る「家事もしない稼ぎもないヒモのような存在だった」
- 朝日新聞デジタル 2020年1月18日 受験で「脱落」した恵俊彰さん 反骨心でたどり着いた今
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