自由民主党所属の参議院議員、橋本聖子さん。
現役時代の愛車はフェアレディZです!
今回は、そんな橋本さんを支える『家族』の物語です。
◆実家は牧場
橋本聖子さんは、北海道早来(はやきた)町(現・安平町)の出身。
実家は『マルゼン橋本牧場』という牧場を経営していました。
このため、朝起きると牛舎に行って搾乳するのが、小さいときからの橋本さんの日課でした。
小学校は地元の、早来町立早来小学校に通います。
小学校1年生の冬、札幌オリンピックで日本人選手が活躍し、掲揚台を独占した日の丸が風になびく光景をテレビで見た橋本さん。
自分もあそこに立ちたい…
と思い、すぐに地元のスケート少年団に入りました。
小学校3年の冬にはいい記録が出るまで成長しましたが、春先に突然、腎臓病を患って入院。
本格的な練習を再開できたのは、早来中学校に入ってからでした。
中学2年で親元を離れ、苫小牧(とまこまい)市のコーチの自宅に下宿しながら高校卒業までの5年間、スケートに打ち込みました。
高校は、駒澤大学附属苫小牧高等学校を卒業しています。
この方も駒大苫小牧です!
◆厳格な父親
橋本聖子さんの父親の名前は、橋本善吉(はしもと・ぜんきち)さん。
父・善吉さんは、マルゼン橋本牧場の経営者で、「牛のハシモト」として世界に名を知られた牛の仲買商でした。
また、競走馬の生産も手掛け、後にサラブレッドのJRA顕彰馬である『マルゼンスキー』のオーナーとしても知られます。
家庭では、極めて厳格だったお父さん。
幼いころ、お父さんに、
補助輪をはずしても、自転車に乗れるのか?
と聞かれたことがあります。
橋本さんは「乗れます」と答えましたが、実際にやってみると、うまく乗れませんでした。
その瞬間、お父さんは幼い橋本さんを、薄氷の張った池に放り込んだと言います。[3]
「自分に嘘をついた」ということみたいですね…
また、乗馬をしていて「上手にできた」と得意になっていると、お父さんはいきなり馬にムチを入れます。
橋本さんは跳ねる馬から振り落とされることが、しばしばありました。
父・善吉さんは、2020年10月19日、老衰のため自宅で亡くなりました。
亡くなる前日の18日、容体が思わしくないとの連絡を受けた橋本さんは、善吉さんの元に駆け付けます。
初めて父の隣に寝て一晩看病したのですが、多分、それで満足してすぐ亡くなったのでは。一晩、私に看病させないと死ねないと思ったんじゃないかとみんなに言われました。
善吉さんは、眠るように息を引き取ったといいます。
96歳の人生でした。
◆慈悲深い母親
お父さんが厳格だった分、お母さんは慈しむ気持ちが強い人でした。[3]
割烹着姿で台所に立っているときも、畑仕事をしているときも、学校から帰った橋本さんを迎えるときも、お母さんは不思議なくらい優しい存在の人でした。
ある日、幼い橋本さんは、無性に悲しくて、お母さんに甘えたくて、涙が止まらなくなったことがあります。
橋本さんは布団にうつ伏せになって、駄々をこねるように泣きじゃくりました。
その時お母さんは、
もっと泣ける、もっと泣ける
と子守歌を歌うように、笑顔で橋本さんの体をさすってくれました。
お母さんは農家に生まれ、北の大地でどう生き抜くかという厳しい時代に育ちました。
優しいように見えるお母さんも、涙が出ないほどの悲しみや辛さを知っていたのです。
◆4人兄弟の末っ子
橋本聖子さんは、4人兄弟の末っ子に当たります。
お兄さんやお姉さんとは年が離れていて、父親のしつけのため、兄弟にも必ず敬語で話していました。
長男の名前は、橋本善一(はしもと・ぜんいち)さん。
現在、橋本牧場を継いでオーナーとなっています。
二番目の姉である高橋睦(たかはし・むつみ)さんは、元衆議院議員・高橋辰夫(たかはし・たつお)さんの奥様です。[4]
順番は分かりませんが、姉の小熊あさ子さんは、橋本さんの政治活動を手伝ってくれる存在です。
◆SPの夫
橋本聖子さんは、1998年(平成10年)に結婚しています。
夫は警視庁につとめる警察官で、当時の島村宜伸(しまむら・よしのぶ)農水大臣のSP(セキュリティポリス)をしていました。
橋本さんは、島村大臣にお世話になっていた関係で、夫とも自然に親しくなったそうです。
当時の橋本さんは、世間の声に負けて選手生活にピリオドを打ったばかり。
信念を貫けなかった弱さを責める思いが高じて、一種のうつ状態になっていました。
ご主人は北海道出身で、学生時代はラグビーをしていたスポーツマンということで、共通の話題がたくさんあります。
年齢は、橋本さんより9歳年上。
年の離れたお兄さんと同じような存在に感じられたこともあったのでしょう
すぐに、心を許して話ができる大切な存在になったのでした。
精神状態もみるみる良い方向へ向かったため、家族も結婚には大賛成だったそうです。
◆6人の子供たち
橋本聖子さんには、6人の子供がいます。
うち3人は、ご主人の連れ子でした。
ご主人には、病気で亡くなった先妻が遺した3人の子どもがいたのです。
選手時代の橋本さんは、体脂肪率を9パーセントに落として体を男性並みに改造していました。
ホルモンのバランスを崩し、生理が何年もなかったため、
もう子供は産めないだろう
と、医師から言われていました。
そのため、ご主人の子供たちから「お母さん」と呼ばれた時は、嬉しくて、夢のようだったそうです。
しかし、幸運はそれだけではありませんでした。
お腹に、新しい命を授かったのです。
当時、現職国会議員の出産は、50年ぶりで2人目のことでした。
50年前に事例があったことも驚きですね。。
橋本さん妊娠がきっかけで、議会を欠席する理由として、「出産」が公的に認められることになったといいます。
橋本さんはその後も子宝に恵まれ、3人を出産。
② 男児・亘利翔(ぎりしゃ)さん。アテネ五輪の年に出産。
③ 男児・朱李埜(とりの)さん。トリノ五輪の年に出産。
さすが、五輪の申し子と呼ばれる橋本さん、3人ともオリンピックイヤーに生まれています。
◆まとめ
橋本聖子さんは、1964年10月5日に生まれました。
東京オリンピックの開会式で、抜けるような青空に燃え上がった聖火を見て、感動したお父さん。
5日後に生まれた娘に『聖子』と名付けました。
その後、聖子さんは、オリンピックに7回出場。
引退後は政治家になり、オリンピック担当大臣を務めています。
厳しかったお父さんも、娘の活躍を喜んでいたことでしょう。
これからも家族の応援を胸に、橋本さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- 日刊スポーツ 2020年9月17日 橋本「聖子」五輪相「聖火」由来の名前/新閣僚寸評
- 共同通信社 2013年2月1日 オリンピック魂 人間力を高める(橋本聖子著)
- 参議院議員橋本聖子オフィシャルサイト 2021年1月29日確認 成果とともに生まれて
- 四国新聞社 2001年10月11日 高橋辰夫氏死去/元衆院議員
- 女性セブン 2013年7月18日号 有名人子供のキラキラネーム 亘利翔、朱李埜、兄、在波など
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