2020年9月27日、女優の竹内結子さんが亡くなったことが分かりました。
今回は、生前の竹内さんを支えた『家族』をご紹介し、在りし日の故人を偲びたいと思います。
◆最初の夫
2005年6月、竹内結子さんは25歳で結婚しています。
夫は、歌舞伎役者の中村獅童(なかむら・しどう)さん。
1972年9月14日生まれなので、竹内さんより8歳年上になります。
獅童さんは、歌舞伎の名門・小川家(萬屋・よろずや)に生まれ、8歳の時に二代目中村獅童を名乗り初舞台を踏みました。
しかし、獅童さんが幼い頃に父親は歌舞伎役者を廃業しており、獅童さんは師匠不在で苦労しています
苦労が実り、1996年には『狐狸狐狸ばなし』おそめ役で歌舞伎座賞を受賞。
翌1997年には『歌舞伎の見方』解説で、国立劇場特別賞を受賞しています。
また、2002年の映画『ピンポン』では準主役ドラゴンの役を射止め、
- 日本アカデミー賞
- ゴールデン・アロー賞
- ブルーリボン賞
- 日本映画批評家大賞
- 毎日映画コンクール
の各新人賞5冠を果たしました。
竹内結子さんとの馴れ初めは、2004年公開の映画『いま、会いにゆきます』で共演したこと。
映画の撮影開始から結婚まで、約半年という“スピード婚”で世間を驚かせました
しかし2008年2月、竹内さんと獅童さんは離婚しています。
離婚の直接の理由は、獅童さんの不倫でした。
しかしその背景には、竹内さんが、
- 歌舞伎役者の妻としての務めを拒んだ
- 長男を歌舞伎役者にすることに反対した
などと囁かれています。
中村獅童さんはその後、2015年1月に再婚しました。
再婚相手は、11歳年下の一般女性です。
◆現在の夫
2019年2月、竹内結子さんも再婚しています。
現在の夫は、俳優の中林大樹(なかばやし・たいき)さん。
1985年1月6日生まれなので、竹内さんより5歳年下になります。
愛称はウッディーなのだとか…
中林さんは、奈良県吉野郡大淀(おおよど)町の出身。
2006年、ドラマ『めぞん一刻』の五代裕作(ごだい・ゆうさく)役のオーディションに応募し、
芸能活動をしていない一般男性
との条件のもと、選考されて俳優デビューしました。
竹内結子さんとの馴れ初めは、2009年公開の映画『ジェネラル・ルージュの凱旋』で共演したこと。
事務所の先輩後輩ということもあり、家族ぐるみで親交を深めていったということです。
竹内結子さん自殺か 夫・中林大樹とは焼き鳥デートから電撃結婚もhttps://t.co/szdW0KIE21
最近も、竹内さんは中林と夫婦そろって子供連れで外食するなど、幸せそうな姿が見られていた。一体、竹内さんに何があったのだろうか。#竹内結子— NEWSポストセブン (@news_postseven) September 27, 2020
◆2人の子供
竹内結子さんには、2人の子供がいます。
①長男の名前は?
第1子は、2005年11月生まれの男の子。
長男の名前は太郎さんと言われており、父親は中村獅童さんです。
長男が小学生のときは、公立の中でも評判の高い小学校に通っています。
中学は受験を決意し、月10万円近い少数精鋭の個人経営の塾に通わせました。
こういう塾は人気があるので、竹内さんはツテをたどって一生懸命探していたそうです。
親子の努力の甲斐あって、2018年4月、長男は超難関の青山学院中学に合格しました。
2020年9月現在、中学3年生になりますね
竹内さんが再婚するとき、長男は、
三人一緒になればこれから楽しくなるね
と、母親の背中を押してくれたそうです。
再婚後は、
夫と一緒に夜食として(サッポロ一番を)食べて、ヒソヒソ男の内緒話をしています
と、中林さんとの関係は良好みたいですね。
②次男の年齢は?
第2子は、2020年1月生まれの男の子。
父親は中林大樹さんです。
生後8カ月。長男とは15歳離れています
次男の育児については、雑誌LEE(2020年10月号)で、その大変さを語っています。
わかっていたつもりでしたが、眠れないし、もらった風邪はなおらないし……。赤ちゃんのお世話は本当に大変ですね。育児の常識も長男のときとは変わっていることが多くて、育児雑誌で離乳食について調べたりしています
◆実家は越谷レイクタウン?
①実家は越谷レイクタウン?
竹内結子さんは、埼玉県浦和市(現・さいたま市南区)の出身。
小学校は不明ですが、中学校は、浦和(現・さいたま)市立白幡(しらはた)中学校です。
高校は、埼玉県立新座(にいざ)北高等学校に通いました。
現在は、埼玉県立新座柳瀬高等学校という名前になっています
高校の1学年下には、俳優の黄川田将也(きかわだ・まさや)さんがいたようですが、当時、面識があったかどうかは分かりません。
また、実家は現在、浦和ではなく、越谷レイクタウンにあると言われています。
②謎の実家ルール
竹内結子さんの実家では、どんな食事であっても味噌汁がついてくるというルールがありました。
シチューだろうが、おでんだろうが、パンだろうが、絶対に味噌汁が出たのだとか…
シチューに味噌汁は辛いですね
ちなみに、中林さんとの結婚生活では、実践していないということです。
また実家は、ハムカツにゆかりがあるそうですね。
とんねるずのみなさんのおかげでしたの『新・食わず嫌い王決定戦』に出演した時に、実家のハムカツをお土産にされていました。
③実家の家族構成
竹内結子さんの実家の家族構成は、父親、母親、長姉、次姉、竹内さんの5人家族です。
それでは、家族のエピソードを見ていきましょう。
◆父親とのエピソード
竹内結子さんの父親は、昭和のお父さんという感じの人でした。
言うことを聞かないと鉄拳制裁も辞さない方で、竹内さんも「よく殴られた」と話しています。
中学を卒業した春休みに友人と原宿に遊びに行き、スカウトされています。
突然のできごとに、父親は大反対。
この時はお姉さんが、
何もしないよりは、やってみて決めた方がいい
と、背中を押してくれたので、竹内さんは芸能界入りを決心したのでした。
役者として、ものづくりに携わることの面白さを初めて感じたのが、17歳の時。
初主演を務めた映画『イノセントワールド』の撮影で、竹内さんは1カ月近く青森県でロケに参加します。
スタッフや共演者など、自分の仕事に対して誇りや責任を持っている人たちの中で、じっくりとものをつくることの世界観を学び、
私はこの仕事をやっていきたい…!
と強く感じたのでした。
撮影が終わり、新宿駅に着くやいなや、竹内さんは父親に電話をかけ役者を続けていく決心を伝えました。
父親は、
とにかく高校だけは卒業してほしい
と条件をつけながらも、役者を続けることを許してくれたのでした。
この時まで、お許しは出ていなかったのですね
◆母親は天国へ
①母親は天国へ
竹内結子さんのお母さんは、子供たちの食事に気をつけて、玄米に無農薬野菜を使った料理をする優しい人でした。
しかし、竹内さんが中学生の時にがんに侵されてしまいます。
だんだん動けなくなってきたため、竹内さんらが必死で看病していました。
更にこの頃、竹内さんにとってショッキングな出来事がありました
父親と母親が離婚してしまったのです。
しかし離婚後も夫婦は、同居を続けていました。
そのため親戚の中にも、離婚のことを知らない親戚がいるのだそうです。
竹内さんのお母さんは、竹内さんが中学2年生の時に40歳の若さで亡くなっています。
②新しい母
やがて父親は再婚し、幸せな家庭が再建されたように見えました。
しかし、多感な時期の竹内さんには、必ずしもそうではありませんでした。
ちなみに継母は、実母の友人だったそうです。
この時期の心境について、竹内さんはこう綴っています。
帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、カギのかかった空間がいくつもあるような場所だった。(中略)私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた。連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかったのだ。
少女時代の竹内さんは、おばあちゃん子だったと言います。
時に息が詰まる家から逃れられる存在が、お祖母さんだったのでしょう
◆兄弟姉妹
竹内結子さんは元々、女ばかり三人姉妹の末っ子でした。
そして父親の再婚相手には、男ばかりの三人兄弟がいました。
結局、六人きょうだいとなった竹内家ですが、竹内さんは急な環境の変化に息が詰まるようになってしまいます。
あまり家に帰ることもなくなり、ますますおばあちゃんの家に寄りつくようになりました。
◆まとめ
これまで見てきた通り、竹内結子さんの活躍の陰には、様々な感情を生む『家族』の姿がありました。
これからは空の上から、家族の生活を見守ってくれることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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