津島佑子の『家族』~作家・太田治子は異母妹、実父は太宰治

2016年2月18日、作家の津島佑子さんが肺がんのため亡くなりました。

今回は、在りし日の佑子さんを取り巻いた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。 

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◆実父は太宰治

津島佑子さんの父親は、文豪・太宰治。

佑子さんは、1947年3月に、太宰治(本名・津島修治さん)の次女として生まれましたが、翌年6月、太宰は自死してしまいます。

父と同じく作家となった佑子さんは、1972年に「狐(きつね)を孕(はら)む」が芥川賞候補となりました。

芥川賞を熱望しながら、受賞できなかった太宰を引き合いに「亡き父のかたきを取るチャンス」などと世間の話題になります。

しかし、佑子さんの思いは複雑でした。 

私にとって親は母だけ。なぜ太宰という父の子と言われるのか

偉大過ぎる父を持つ葛藤が、長年、佑子さんの心にはあったのでしょう。

160219_津島佑子の家族2

しかし、2015年1月、自身が肺がんと診断されると、闘病しつつ「父をテーマに書く」と準備を進めていたという事です。

その作品が完成したのかは分かりません。

しかし、少なくとも佑子さんの中では、父への複雑な思いは、幾分昇華されていたのではないでしょうか? 

◆母親

津島佑子さんのお母さんの名前は、津島美知子さん。

1912年1月31日、石原初太郎・くら夫妻の四女として島根県那賀郡浜田町(現在の浜田市)で生まれました。

父親の初太郎さんは、山梨県出身の地質学者で、島根県の中学校校長や広島高等師範学校の講師を務めた人物です。

母・美知子さんは、作家の井伏鱒二氏を通じて太宰治氏とお見合いをし、1939年に結婚しました。

太宰氏の没後は苦労して子供を育てましたが、1978年には「回想の太宰治」を上梓し、歩んだ道を振り返っています。

1997年2月1日、美知子さんは心不全のため85歳で亡くなりました。

なお、佑子さんが母(美知子さん)方の一族をモデルに書いた「火の山--山猿記」は、2006年NHK連続テレビ小説「純情きらり」の原案となっています。 

◆姉

津島佑子さんにはお姉さんがいて、名前は津島園子さん。

1941年6月8日生まれなので、佑子さんより6歳年上になります。

園子さんは、早稲田の文学部を卒業し、後に自民党津島派の会長を務めた津島雄二さんと結婚しています。

長男は、現・衆議院議員の津島淳さんです。 

◆兄

津島佑子さんにはお兄さんがいて、名前は津島正樹さん。

1944年8月10日生まれなので、佑子さんより3歳年上になります。

兄・正樹さんは知的障害があり、15歳の若さで、肺炎で亡くなりました。

佑子さんが後年に発表した書簡集「山のある家 井戸のある家」では、亡き兄についての記述も見られます。 

◆作家・太田治子は異母妹

津島佑子さんには異母妹がいて、名前は太田治子さん。

太田治子さんの母・静子さんは、太宰の代表作「斜陽」の主人公「かず子」のモデルとなった人物です。

治子さんは、太宰と静子さんの不倫の末にできた娘ですが、太宰は生まれた子に「治」という字を与え、認知しました。

太宰の没後、静子さんは、炊事婦や寮母など働きづめで生計を立て、治子さんは明治学院大学文学部を卒業します。

小説家となった治子さんは、母との思い出をつづった「心映えの記」を発表し、直木賞の候補にもなりました。

1967年に公開された、吉永小百合さん主演の「斜陽のおもかげ」は、太田治子さんをモデルとした映画です。 

◆長女・石原燃の画像

津島佑子さんは、1970年11月に結婚し、1972年5月に長女を出産します。

長女の名前は香以(かい)さん。

香以さんは、武蔵野美術大建築学科を卒業後、「石原燃」の名前で劇作家として活躍しています。

2010年、日本の統治下にあった台湾を舞台にした「フォルモサ!」で劇団大阪40周年記念戯曲公募大賞を受賞。

2012年、演劇ユニット「燈(あかり)座」を旗揚げし、関西を拠点に活動しています。

香以(石原燃)さんの画像はこちら。 

160219_津島佑子の家族

佑子さんによく似ていらっしゃいますね(*^_^*) 

◆長男

津島佑子さんは、夫とは不仲になり離婚しますが、その後、新たな私生活のパートナーとなる男性が現れます。

1976年8月、この男性との間に長男を出産しますが、長男は8歳の時に呼吸発作のため亡くなってしまいました。

この悲しい体験を基に、生死そのものを綴った「夜の光に追われて」は、87年の読売文学賞を受賞しています。 

◆まとめ

《作家・夏樹静子さんに関する記事はこちら》
夏樹静子の『家族』~子供(出光秀一郎と娘)の現在は?夫は新出光!

これまで見てきた通り、津島佑子さんを取り巻く『家族』には、どこか悲しい運命をまといつつも、眩いばかりの才能が溢れていました。

明治の文豪の血筋は、これからも静かに、脈々と受け継がれていくことでしょう。

ご冥福をお祈り申し上げます。

コメント

  1. 压滤机 より:

    不错的文章,内容笔下生辉.禁止此消息:[email protected]

    • カゲロウ カゲロウ より:

      コメントありがとうございます。
      恐れ入りますが、日本語でお願いできますでしょうか?
      お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

  2. […] 太宰の腕の中にいるのが長男・正樹出典:蜉蝣のカゾク […]

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