2019年2月24日、日本文化研究の第一人者である、ドナルド・キーンさんが亡くなりました。
今回は、生前のキーンさんを支えた家族をご紹介し、在りし日の故人を偲びたいと思います。
【本人プロフィール】
名前:ドナルド・キーン
雅号:鬼怒鳴門
生年月日:1922年6月18日
没年月日:2019年2月24日(享年96歳)
◆養子の息子へ後を託す…
①養子の名前や年齢は?
ドナルド・キーンさんに、実子はいませんが、後継ぎとなる養子は存在します。
養子である息子さんの名前は、キーン誠己(せいき)さん。
1950年生まれなので、今年(2019年)で69歳になります。
キーン誠己さんはもともと三味線の奏者で、五代目 鶴澤 浅造(ごだいめ・つるざわ・あさぞう)を名乗った人物。
日本文学の研究者と三味線奏者が、親子関係となった理由は何だったのでしょうか?
②養子縁組に至った経緯
キーン誠己さんは25年間、文楽座で三味線を弾いていましたが、持病が悪化して1997年に引退。
新潟の造り酒屋である実家に戻り、総務や経理の仕事をこなしましたが、しだいに古浄瑠璃への興味がわいてきます。
2006年11月、ドナルド・キーンさんが対談のため来日することを知ると、アポなしで楽屋を訪ねました。
全くの初対面であるにも関わらず、古浄瑠璃の指導を依頼した、誠己さん。
という情報を授かります。
この情報をもとに、誠己さんは新潟の仲間と浄瑠璃の一座を旗揚げし、300年ぶりの復活公演を果たしました。
『越後国柏崎 弘知法印御伝記』という舞台です。
ここから、キーンさんと誠己さんとの交流が本格的に始まったのです。
③東日本大震災をきっかけに
ドナルド・キーンさんは、東日本大震災をきっかけに日本永住を決め、2012年3月初めに日本国籍を取得しました。
そして、同じ月に誠己さんと養子縁組をしています。
誠己さんは養子縁組の前から、身の回りの世話や秘書業務をしていたので、特段、違和感はあなかったそうです。
毎日3度の食事を誠己さんが作り、夕方には一緒に買い物に出かけました。
地元の商店街で、ドナルド・キーンさんは人気者で、お店の人との会話を楽しんでいたそうです。
◆結婚はしてない?
養子のキーン誠己さんは、
とも話しています。
ドナルド・キーンさんに、結婚歴はないようですね。
キーンさんが日本国籍を取得するときは、
と語っています。
◆アメリカの父と母
ドナルド・キーンさんは、ニューヨークのブルックリンで、貿易商の家庭に生まれました。
9歳のとき父親とヨーロッパを旅行したことがきっかけで、フランスなど外国文化に強い興味を抱くようになります。
しかしその後、両親は離婚。
母親に引きとられたドナルドさんは、経済的に苦しいなか奨学金を受けつつ飛び級を繰り返します。
そして、16歳でコロンビア大学文学部に入学。
18歳の時、
というだけの理由で購入した『源氏物語(アーサー・ウェイリー訳)』に衝撃を受けます。
そこから日本文学の道を歩き出すのに、そう時間は必要ありませんでした。
直後、日本とアメリかは戦争に突入しますが、キーン青年の情熱が覚めることはありませんでした。
◆まとめ
ドナルド・キーンのご逝去に際し、息子さんであるキーン誠己さんはコメントを出しています。
“日本文学に生涯をささげ、日本人として日本の土となることが父の長年の夢でしたから、この上なく幸せな一生だったと確信しています”
ご冥福をお祈り申し上げます。
《キーンさん親子が日常をつづったエッセイ集》
《日本文学研究の後進》
《2019年に亡くなった著名人》
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