2019年1月12日、女優の市原悦子さんが、心不全のため亡くなりました。
今回は、生前の市原さんを支えた『家族』をご紹介し、在りし日の故人を偲びたいと思います。
【本人プロフィール】
名前:市原悦子(いちはら・えつこ)
生年月日:1936年1月24日
没年月日:2019年1月12日(82歳没)
◆実家は千葉県
市原悦子さんは、千葉県千葉市の出身。
当時、話題のフィギュアスケート選手「稲田悦子」さんの人気にあやかり、「悦子」と名付けられました。
市原さんが演劇に興味を持ったのは、14歳の時。
千葉市立末広中学校で演劇部の顧問だった先生の
“1人だけが主役じゃないんだ。みんな一人一人が輝けばいいんだよ”
という言葉に心を打たれたためです。
千葉県立千葉高等学校でも演劇部で活動し、県のコンクールで個人賞をとる演劇少女でした。
◆父親は千葉興業銀行の創立者
市原悦子さんのお父上は、銀行家でした。
しかもただの銀行マンではなく、千葉銀行勤務を経て、後に千葉興業銀行の創業者になったというから凄い方ですね。
市原さんは高校を卒業後、お父上のコネで富士銀行(当時)への就職が決まりました。
しかし、出社数日前に突然
“女優になりたい…”
と思い立ち、俳優座養成所を受験し合格。
芸能界の道を歩むことになりましたが、お父上のコネは大丈夫だったのでしょうか(^_^;)
◆母親は元教師
市原悦子さんの母親は、元小学校教師だったと言われています。
◆兄弟はいる?
市原悦子さんは、三姉妹の長女と紹介される記事もありますが、早くに亡くしたお兄さんがいました。
正確には4人兄妹の第2子で長女ということになります。
お兄さんは戦争中に、
“爆弾が落ちた場所を見に行った”
というエピソードがあるので、この頃はお元気だったのでしょう。
あるいは戦争中に亡くなったのかもしれません。
◆夫は演出家の塩見哲さん
市原悦子さんは、25歳の時に結婚しています。
夫は2歳年上の俳優座の同期で、演出を担当していた塩見哲(しおみ・さとし)さん。
市原さんから見て旦那さんは
“影のあるちょっと不良っぽいところが魅力だった”
と言います。
塩見さんも、
“よく笑いいきいきと演技をする”
という市原さんに惹かれていました。
◆おしどり夫婦
2人の生活は4畳半のアパートから始まり、料理は得意だった塩見さんが作りました。
“家にいても演劇仲間だった”
という2人は、おしどり夫婦として知られていました。
1972年には塩見さんとふたりで、プロダクション『番衆プロ』を立ち上げます。
そして市原さんには、
“主演・市原悦子、演出・塩見哲―――”
と、夫婦で舞台を作り上げるという夢がありました。
その夢を叶えたのは1995年。
6年の歳月をかけ、歌とダンスと芝居が一体の舞台を作り、全国10箇所をまわりました。
演劇界で2人の舞台は”ネオミュージカル”と呼ばれ、注目を集めます。
そして、結婚から53年目を迎えた2014年、夫が帰らぬ人となりました。
塩見さんは2014年3月に肺がん手術を受けましたが、その後、肺炎となり、市原さんにみとられて息を引き取ります。
享年80歳でした。
◆子供はいるのか…?
市原悦子さんと夫の間には、子供はいません。
望んではいましたが、2度の流産を経て、医師から
“出産はもう無理ですね“
と言われたといいます。
市原さんはショックの余り、演技ができなくなりましたが、塩見さんに
“子どものいない人生だってあるよ”
と励まされて立ち直ったのでした。
◆まとめ
最愛の夫を亡くした市原悦子さんは、
“私も終わった“
と、生きる気力を亡くし、引退も考えていました。
そんな市原さんを思いとどまらせたものは、生前の夫の
“望まれるなら精一杯やって”
という言葉。
今ごろは天国で旦那さんと、久方ぶりの再会を楽しんでいることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
◇編集後記
個人的には、市原悦子さんと言えば圧倒的に『まんが日本昔ばなし』。
1人で12人くらいの役をこなしていたそうなので驚きです。
“坊や~よいこだ、ねんねしな~♪”
この歌声も市原さんだと思っていたのですが、「花頭巾」というグループ?らしいですね。
《2019年に亡くなった著名人》
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