長年にわたり明仁上皇さまを支えてきた、上皇后 美智子さま。
今回は、そんな美智子さまを育んだ『家族』の軌跡をご紹介します。
御名前 :美智子(みちこ)
旧 名:正田美智子(しょうだ・みちこ)
生年月日:1934年〈昭和9年〉10月20日
出身大学:聖心女子大学文学部
◆実家・正田家の家系図
上皇后美智子さまの旧名は、正田美智子(しょうだ・みちこ)さんです。
美智子さまの生い立ちからご婚約発表まで|復刻記事「理想の女性(ひと) 美智子さま」シリーズ1|婦人画報2022/12/30https://t.co/c7n9wEjMaM pic.twitter.com/CnEbF02ylE
— カゲロウ (@Kagerou_Kazoku) July 15, 2023
実家の正田家をさかのぼると、約300年前の上州館林に庄田六三郎という人物がいて、この方が始祖だと言われています。
庄田を正田にあらためた正田家は、江戸時代には『米文』の屋号で米問屋を営み、江戸や大阪にも名がとどろく豪商でした。
しかし明治6年、美智子さまの高祖父にあたる、三代目・正田文右衛門(しょうだ・ぶんえもん)は、突然家業をやめ、『亀甲正』という商号で醤油醸造業を始めます。
醤油の作り方については、野田(千葉県)の『亀甲萬』(現在のキッコーマン)からアドバイスをもらったそうです。
これが現在も残る、正田醤油株式会社となります。
◆祖父は日清製粉創業者
上皇后美智子さまの祖父の名前は、正田貞一郎(しょうだ・ていいちろう)さん。
祖父の貞一郎氏は、家業の醤油醸造を経て、館林製粉株式会社を設立しました。
当時の小麦粉は輸入ものが大勢で、
輸入粉の増大に手をこまねいて傍観していることはできない、機械製粉すれば輸入粉に負けないはずだ…
と考えたのでした。
この会社が名前を変え、幾多の合併を繰り返して、現在の日清製粉グループとなっています。
祖父の貞一郎氏は、のちに貴族院議員、東武鉄道の会長なども務めました。
◆実家の家族構成
上皇后美智子さまの実家の家族構成は、父親、母親、兄、美智子さま、妹、弟の6人家族です。
それでは、お父上から見ていきましょう。
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