長年にわたり明仁上皇さまを支えてきた、上皇后 美智子さま。
今回は、そんな美智子さまを育んだ『家族』の軌跡をご紹介します。
御名前 :美智子(みちこ)
旧 名:正田美智子(しょうだ・みちこ)
生年月日:1934年〈昭和9年〉10月20日
出身大学:聖心女子大学文学部
◆実家・正田家の家系図
上皇后美智子さまの旧名は、正田美智子(しょうだ・みちこ)さんです。
実家の正田家をさかのぼると、約300年前の上州館林に庄田六三郎という人物がいて、この方が始祖だと言われています。
庄田を正田にあらためた正田家は、江戸時代には『米文』の屋号で米問屋を営み、江戸や大阪にも名がとどろく豪商でした。
しかし明治6年、美智子さまの高祖父にあたる、三代目・正田文右衛門(しょうだ・ぶんえもん)は、突然家業をやめ、『亀甲正』という商号で醤油醸造業を始めます。
醤油の作り方については、野田(千葉県)の『亀甲萬』(現在のキッコーマン)からアドバイスをもらったそうです。
これが現在も残る、正田醤油株式会社となります。
◆祖父は日清製粉創業者
上皇后美智子さまの祖父の名前は、正田貞一郎(しょうだ・ていいちろう)さん。
祖父の貞一郎氏は、家業の醤油醸造を経て、館林製粉株式会社を設立しました。
当時の小麦粉は輸入ものが大勢で、

輸入粉の増大に手をこまねいて傍観していることはできない、機械製粉すれば輸入粉に負けないはずだ…
と考えたのでした。
この会社が名前を変え、幾多の合併を繰り返して、現在の日清製粉グループとなっています。
祖父の貞一郎氏は、のちに貴族院議員、東武鉄道の会長なども務めました。
◆実家の家族構成
上皇后美智子さまの実家の家族構成は、父親、母親、兄、美智子さま、妹、弟の6人家族です。
それでは、お父上から見ていきましょう。
◆父親は日清製粉社長
上皇后美智子さまの父親の名前は、正田英三郎 (しょうだ・ひでさぶろう)さん。
父・英三郎さんは、東京商科大学(現:一橋大学)を卒業後、三菱商事を経て、日清製粉に入社しました。
1945年から1973年まで、日清製粉の社長を務めています。
皇室へ嫁ぐ美智子さまに対しては、

これからは陛下と殿下の御心に添って生きるように
と言って送り出されました。
1999年6月18日、95歳で逝去されています。
◆母親の実家は?
上皇后美智子さまの母親の名前は、正田富美子(しょうだ・ふみこ)さん。
母・富美子さんの実家は、佐賀士族の副島家です。
19歳の時に、正田英三郎さんと結婚。
美智子さまを含め、2男2女を育てました。
1988年5月28日、入院していた聖路加国際病院で、腎不全により78歳で亡くなっています。
美智子さまは、母の旅立ちに、

四照花(やまぼうし)の一木覆ひて白き花咲き満ちしとき母逝き給ふ
との挽歌を残しました。
ちなみに、富美子さんを看取った医師は、100歳を超えるまで臨床現場に立ち続けた、日野原重明(ひのはら・しげあき)さんです。

◆兄弟
美智子さまのご兄弟をご紹介します。
兄・正田巌
兄の正田巌(しょうだ・いわお)さんは、東京大学法学部出身。
卒業後は金融畑を歩み、日本銀行監事や預金保険機構の理事を務めました。
奥様の名前は淑さん。
浜口雄幸(はまぐち・おさち)元首相の孫娘にして、東京銀行頭取・濱口雄彦(はまぐち・たけひこ)氏の次女に当たります。
学習院大学を出た才媛でいらっしゃいます。
妹・正田恵美子
妹の正田恵美子さんは、昭和電工の社長・安西正夫氏の長男・孝之氏と結婚しています。
弟・正田修
実弟の正田修(しょうだ・おさむ)さんは、東京大学法学部、日本興業銀行を経て、家業である日清製粉に入社しました。
1986年から2004年まで、日清製粉や日清製粉グループ本社の社長を務めています。
奥様の名前は、素子さん。
クラレ社長・大原総一郎(おおはら・そういちろう)氏の次女で、慶應義塾大学出身です。
華族・野津道貫(のづ みちつら / どうがん)侯爵の孫に当たるのだそうです。
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