2015年7月31日、俳優で文学座劇団代表の俳優・加藤武さんが、スポーツジムのサウナで倒れ、急逝していたことが分かりました。
今回は、加藤武さんの86年の生涯を支えた「家族」にスポットを当て、ご紹介します。
◆嫁や子供は?
加藤武さんには現在、お嫁さんや子供はおらず、離婚歴もないようです。
男性は独身を通すと、必ずと言っていいほど「ゲイではないか?」と噂されたりしますが、加藤さんの場合はそのような情報はありません。
そういえば、加藤武さんがライフワークとして朗読に取り組んでいた「宮本武蔵」にも、ゲイの噂が取り沙汰されています。
◆父の職業は?
加藤武さんの父・権平(ごんぺい)さんは、小学校出の根っからの魚屋で、日本橋魚市場の魚問屋「佃亀新」の跡継ぎでした。
またお父さんは、清元節(三味線音楽の一種)の大変な愛好家であり、加藤家の新年会は、父が唄い、母が三味線を弾き、姉が踊るというかなり本格的なものであったようです。
◆母の出身学校は?
小学校卒のお父さんと対照的に、母・徳さんは学のある人でした。
母・徳さんは、明治二十四(1891)年クリスマスに、現墨田区の本所で生まれます。
徳さんのお父さんは、千葉の加納家の下級武士であり、幕藩体制の瓦解後は商売を始めましたが、「士族の商法」で何をやっても上手くいきませんでした。
しかし、向学心に燃えた徳さんは、尋常高等小学校を卒業後、編入試験を受けて当時の超名門である府立第一高女(現・東京都立白鴎高等学校)に入学します。
さらに親を説得して津田英学塾予科(現・津田塾大学)に進みますが学費が続かず、止む無く本科進学を断念しました。
母・徳さんは、26歳で「佃亀新」に嫁入りし、三男二女に恵まれます。
姑は「潮待茶屋」(荷物保管所)を仕切っており、夏は双肌脱ぎになって、荒っぽい奉公人を顎で使い、大酒を飲む豪傑であったため、気苦労も多かったことでしょう。
「佃亀新の嫁は英語で独り言を言う」と噂されたそうですが、おそらく周囲に分からないように英語で愚痴を言っていたのでしょうね。
典型的な教育ママでもあり、特に英語には厳しく、「先々シェイクスピアを学ぶのだから、ラムの『シェイクスピア物語』は読んでおくといい」と原書を与えられていたそうです。
ここまで書くと、母・徳さんはとてもお堅いイメージですが、下町のおかみさん気質も合わせ持っていたそうです。
清元好きのお父さんに合わせ、三味線を弾きこなす腕前は半端ではなく、粋筋出のおかみさん連中が踊る小唄・端唄・俗曲を、徳さんはすべて弾きこなしました。
また、なぜか犬や猫になつかれる一面もあり、愛犬「マップ」も可愛がっていましたが、兵隊の毛皮にするため、飼犬の供出命令が下りてしまいます。
家族の誰もが嫌がる役目を、一番可愛がっていた徳さんが引き受け、愛犬マップを区役所へ連れて行きました。
戦争が終わり、世の中が落ち着いても、徳さんが犬を飼うことはなかったそうです。
母・徳さんは、昭和五十八(1983)年のクリスマスに天に召されました。
◆兄・姉
加藤武さんにはお兄さんもいたようで、軍需工場に行き、学徒出陣もしましたが、幸いに命を取り留めて復員されています。
加藤武さんのお姉さんは、踊りのお師匠さんがいてそこに習いに行っていたため、結構な腕前だったということです。
◆まとめ
加藤武さんは、小沢昭一さん・フランキー堺さんとは旧制・麻布中学校の同級生で、生涯親交が続いた「家族」のようなものでした。
その3人の中でも最後まで頑張っていたのが加藤さん。
これまでお疲れ様でした。
天国で小沢昭一さんやフランキー堺さんとの再会を楽しんでください。
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