2019年12月12日、俳優の梅宮辰夫さんが亡くなりました。
今回は、生前の梅宮さんを支えた妻や子供など『家族』をご紹介し、在りし日の故人を偲びたいと思います。
◆最初の妻
梅宮辰夫さんには、2人の奥さんがいます。
最初の妻の名前は、大門節子(大門節江)さん。
大門さんは銀座のクラブ「姫」のホステスさんですが、『花が散るから/裸足の渚』『あねさんブルース/男酒』などのレコードもリリースしています。
2人は1968年12月に結婚しましたが、半年で離婚(>_<)
大門さんは、マンションのベランダから飛び降りて入院したこともあったそうです。。
◆2人目の妻・クラウディア
梅宮辰夫さんは、1972年に再婚しています。
2人目の妻の名前はクラウディアさん。
1944年3月20日生まれなので、梅宮さんより6歳年下になります。
クラウディアさんとの馴れ初めも銀座のクラブで、大門さんとの婚姻中に2人は出会ったのだとか。
今でいう不倫略奪愛なのでしょうが、複雑な事情もあったようです。
クラウディアさんはアメリカ出身ですが、梅宮さんと出会ったときには実の両親はなく、義理の日本人の母と兄が1人だけ。
生まれは米国だけど、帰るところもない。俺が幸せにしてやろうかな
そういう気持ちがあったのだそうです。
交際から3年後、梅宮さんに見合い話がきました。
その時に、クラウディアさんが
2号さんでもいいから捨てないで
と話したエピソードは有名です。
梅宮さんもこの言葉を聞いて、
やはり、俺しかいないかなと。こいつをちゃんとフォローしてやれるのは
と思い、2人はすぐに結婚したのでした。
◆愛娘・梅宮アンナ
梅宮辰夫さんとクラウディアさんの間に生まれた子供が、梅宮アンナさんです。
経歴は、若葉会幼稚園、私立の川村小学校・川村中学校を経て、東横学園大倉山高等学校を卒業。
文化学院専門学校に進みましたが、ここは中退しています。
1990年にスカウトされ、女性雑誌『JJ』の専属モデルとして活躍。
『ねるとん紅鯨団』への出演をきっかけに、タレントとして広く知られるようになりました。
1994年ごろから、タレントの羽賀研二さんとの交際がスタート。
羽賀さんは多額の借金を抱えていたこともあり、梅宮さんが交際に公然と反対し、この話題は週刊誌やワイドショーの標的とされました。
羽賀さんとの交際は1999年に破局。
その後羽賀さんは、詐欺事件を起こし、沖縄刑務所に服役しています(現在は出所)。
◆子供は何人いるのか?
梅宮辰夫さんには、もう一人子供がいるかもしれません。
最初の結婚前に、若井常代さんという女性と3年間同棲していたのです。
若井さんとは婚約までしていたようですが、梅宮さんは一方的に婚約を解消。
しかしこのとき既に、若井さんは妊娠4ヶ月だったということです。
2人が別れたのは1968年のことだったので、この子供が無事に生まれていれば、現在(2019年)は50歳くらいになっていますね。
◆甥っ子も俳優?
梅宮辰夫さんの甥っ子も俳優さんだという噂があります。
この噂は半分正しくて、正確には従甥(いとこおい)が俳優さんなのです。
従甥とは聞きなれない言葉ですが、「いとこの息子」という意味です。
そして何と、その俳優さんとは、サラリーマン金太郎や特命係長で有名な高橋克典さんなのです。
すごいですね、梅宮さんも昔は(?)イケメンだったので、イケメンの家系なのですね。
そういえば特命係長では、高橋さんと梅宮さんは共演していましたよね。
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ちなみに、元プレアイドルの梅宮亜須加さんも遠い親戚にあたるのだそうです。
◆実家の家族構成
梅宮辰夫さんの実家の家族構成は、父親、母親、梅宮さん、弟2人、妹2人の7人家族です。
梅宮家は会津の家系ですが、祖父の梅宮辰次郎さんが満州・奉天に移住したため、梅宮さんも満州で生まれています。
◆父親の職業は?
父親の名前は、梅宮次郎さん。
父・次郎さんも満州で生まれ、満州医科大学を卒業し医師となった後、満州国ハルビン特別市で満鉄病院に勤務していました。
終戦後、父親は茨城県水戸市の病院に職を見つけたため、一家は茨城県に移住。
梅宮さんは茨城大学教育学部附属愛宕中学校に通いましたが、ジャーナリストで評論家の立花隆(たちばな・たかし)さんは同校の後輩に当たります。
その後、梅宮家は品川区戸越銀座へ移住し、実家は内科・小児科を診療科目とする梅宮医院を開業しました。
梅宮さんは長男なので跡継ぎとして期待されましたが、医学部受験に失敗し、日本大学法学部に進んでいます。
◆釣りは父親の手ほどき
ちなみに、梅宮さんといえば、「釣り」好きとしても知られていますが、梅宮さんが釣りを始めたきっかけはお父さんです。
旧満州に住んでいた子供の頃、医師だった父親と一緒に川釣りを始めました。
父親が国立水戸病院の医師として茨城県に移った時にも、那珂川でナマズやウナギなどを釣っていました。
◆まとめ
これまで見てきたように、梅宮辰夫さんの活躍の陰には、温かく支えてくれる『家族』の姿がありました。
これからは天国から、家族の活躍を見守ってくれることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
◇編集後記
梅宮辰夫さんの作品といえば『仁義なき戦い』の印象が強いですが、梅宮さん自身が代表作としているのはこちらのシリーズです。
任侠映画に多い「情に厚いアウトロー」ではなく、詐欺・恐喝をくりかえす「反社会的グループ」を主人公とした、異質の作品です。
随所に下ネタや社会風刺パロディが盛りこまれており、現在では映画化は難しいかもしれませんね(^_-)
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