リオ五輪を控え、フェンシングの太田雄貴選手にも注目が集まっています。
今回は、そんな太田選手を育み、支えてくれる『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家・父親の職業は?
太田雄貴選手のお父さんの名前は、太田義昭さん。
年齢は、今年で63歳になります。
父・義昭さんは少年時代、テレビ映画「快傑ゾロ」の剣士姿にあこがれ、京都・平安高でフェンシング部に入りました。
しかし、高校総体の全国大会にも出ることもできず、その夢は子どもに託すことになります。
義昭さんは、スーパーファミコン+ソフト2本と引き換えに、当時小学3年だった雄貴さんと約束しました。
まじめにフェンシングをやること。
ここから、父と子のフェンシング生活が始まります。
父・義昭さんの職業は、小学校の教諭。
義昭さんは仕事から帰ると、自宅1階の居間で、毎日基本を叩き込みます。
毎日の練習に妥協はなく、雄貴さんが親指の靱帯を痛めた時も、包帯をぐるぐる巻きにして練習させられました。
家族でスキー旅行に行ってもホテルの部屋で練習し、下の階の客から苦情が出たこともあります(~_~;)
しかし中学1年の春、学校行事で京都に宿泊する事になり、練習の連続記録が途切れそうになります。
世界を目指しているのに、学校の行事ぐらいで休めない
泣いて先生にお願いし、公衆電話から家に電話。
大津市内の実家から、義昭さんが父が車を飛ばして来てくれ、薄暗い寺の境内で、剣さばきを確認したのでした。
練習の成果は確実に上がっていき、中学2年生のときに全国大会で優勝。
翌年も連覇すると、平安高に入ってもインターハイ3連覇、高校2年の17歳のときには史上最年少で、全日本選手権を制しています∑(゚Д゚)
◆父の手料理?
父・義昭さんのスゴイところは、雄貴さんの練習だけでなく、食事の世話まで引き受けたことです。
雄貴さんがフェンシングを始めた小学校高学年から、朝食・夕食は、義昭さんが一手に受け持ちました。
口から取り入れたものがそのまま血や肉になるんだったら、やっぱりいいものを食わしてやろうと
このため、食事を作るだけでなく「一食10品目以上」「冷凍食品禁止」「基本手作り」が原則となります。
義昭さんはとても器用で、魚を三枚におろし、すしを握り。焼き鳥は串に刺して、直火で焼きました。
子ども3人の誕生日などには、オーブンでローストビーフをこしらえます。
中学・高校時代は、雄貴さんの弁当も作り、当時大学生だった長女の弁当にまで進出していたそうです(*^o^*)
◆母親の出身は?
太田雄貴選手のお母さんの名前は、太田妙美さん。
年齢は、お父さんと同じ63歳です。
母・妙美さんの職業も教師だそうで、太田家は教育熱心だと言えそうですね。
雄貴さんは成績も良かったので、スポーツだけの道に進ませることには、妙美さんは抵抗がありました。
雄貴さんが大きな怪我をした時は、
このまま続けさせていいの?
と、父・義昭さんとぶつかったこともあります。
そんなお母さんですが、太田選手が北京五輪で銀メダルを取った時は
ギューしてチューしたい(^O^)/
と発言。
そのせいで、雄貴さんはしばらく実家に帰れなかったとか(*^^*)
ちなみに母・妙美さんは高松の出身で、その影響で雄貴さんは「うどん」が大好きなのだそうです。
◆兄の名前は?
太田雄貴選手にはお兄さんがいて、名前は智之さん。
年齢は、今年で37歳なので、雄貴さんより7歳年上になります。
お父さんは兄弟にフェンシングと共にスキーを教えましたが、兄・智之さんはスキーに熱中してしまいました。
お兄さんは既に結婚しており、お父さんは長男の子供にフェンシングを教えようと、密かに計画しているのだそうです(*^o^*)
◆姉の画像!
太田雄貴選手にはお姉さんもいて、名前は麻貴さん。
年齢は33歳なので、雄貴さんより3歳年上になります。
お父さんは、当然、姉・麻貴さんにもフェンシングを教えましたが・・・
がに股の姿勢が格好悪いから、フェンシングはやりたくない!
それではここで、姉・麻貴さんの画像をご紹介します。
とても綺麗なお姉さんなので、ガニ股は似合わなかったかもしれませんね(*^o^*)
◆モデルの彼女と結婚?
太田雄貴選手は現在30歳と、結婚していてもおかしくありませんが、独身を貫いています。
以前、彼女と言われていたのが、モデルの檀原彩さん。
彩さんは、雄貴さんより3歳年上ですが、雄貴さんの一目惚れで交際が始まり、同棲生活を送りました。
しかし、間もなく太田選手は調子を崩してしまい、フェンシングに集中するため別れを提案。
彩さんも断腸の思いで、別れを承諾したのでした。
しかし、愛ある別れをした2人は、その後も連絡を取り合っているとか。
もしかしたら、リオ五輪の後くらいに、おめでたいニュースが飛び込んでくるかもしれませんね!
《TBS・笹川アナウンサーとの熱愛報道が飛び込んできました!》
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◆まとめ
雄貴さんが大学2年の冬、8歳から続けていた「毎日休まず練習する」という日課は、突然終わりを告げます。
もう、ええんとちゃう?
雄貴さんは、アテネ五輪の後、不振のトンネルに迷い込んでいました。
単に練習を続けるのが目的になっているように感じ、惰性で続けるのを避けようとしたのです。
息子の突然の告白に戸惑った父は、剣を放り投げ、実家の部屋を出て行きます。
五輪にも出た息子に教えることもない。3000日を過ぎた頃から、もう潮時かなとは思っていた
4270日を超えていた連続練習記録が止まった瞬間。
それは、父の元を巣立つ息子の、自立のための儀式なのでした。
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