スケートボード競技で東京五輪金メダリストとなった、四十住さくら選手。
子供の頃の夢は「保育園の先生」です!
今回は、そんなさくらさんを取り巻く『家族』の物語です。
◆実家は和歌山県岩出市
四十住さくらさんは、和歌山県(いわで)岩出市の出身。
小学校は地元の岩出市立岩出小学校に通いました。[1]
スケートボードを始めたのは小学校6年生と、あまり早くはありませんが、すぐに夢中になります。
中学校は、岩出市立岩出中学校へ進学。[1]
中学校時代には、
- 朝6時半起床
- 7時から30分間練習
- 午後3時半下校
- 再び自宅前で1時間練習
- 塾で2時間勉強
- 大阪に行って、レッスン受講
- 午後10時にレッスン終了
- 府内で場所を移して日付が変わるまで練習
- 母の運転で和歌山に戻る
- 午前2時ぐらいまで練習
という生活を続けたというから驚きです。
お母さんは大変だったと思いますが、さくらさんは、
スケボーを嫌いになったことはないです。楽しさしかない。楽しくなかったら、多分ここまで続いていないと思います
と、まったく問題ありませんでした。
中学3年の夏に東京五輪追加種目入りが決定。
競技会が増え、日本代表として遠征も始まりましたが、
「楽しい」「好き」
という気持ちは変わりません。
高校は、昼間定時制の和歌山県立伊都中央高等学校へ進学。[2]
午前中4時間の授業を受けると、すぐに母の運転で往復約3時間かけ、神戸市の練習場に通い詰めました。
高校在学中に、日本選手権、アジア大会、世界選手権を制し、いずれも初代女王に輝いています。
◆家族構成
四十住さくらさんの実家の家族構成は、父親、母親、兄、さくらさんの4人家族です。
自身は独身であり、自らの家族はこれから築くことになります。
◆父親
四十住さくらさんの父親の名前は、四十住和次さん。[3]
毎日の送り迎えはお母さんが担当でしたが、全国大会に出場するようになると、父・和次さんも東京までハンドルを握りました。
しかし、娘の意欲と比例して、遠征費が上がり、ついにお金が底をつきます。
米国で行われる2017年1月の国際大会を控えた時、父親からこう言われました。
さくら、これがもうラストやで。もうお金ないから
しかし、この大会で3位に入賞したさくらさんは、はじめて賞金を獲得します。
さくら、もう一回大会行けるぞ!
お父さんの声も弾みました。
次の大会で優勝したさくらさんは、地元のスポンサーもつき、競技を続けることができたのでした。
◆母親
四十住さくらさんの母親の名前は、四十住清美さん。[4]
前述のとおり、母・清美さんは、娘の本気度を確認して以降、身を粉にして支えてくれました。
さくらさんは勿論、お母さんに海よりも深く感謝しています。
東京五輪の金メダルを、お母さんにかけてあげたい
東京五輪の2年前に語った目標は、現実のものとなったのでした✨
◆きっかけは兄
四十住さくらさんにはお兄さんがいて、名前は四十住麗以八(よそずみ・れいや)さん。[5]
芸名みたいですが本名です!
さくらさんがスケートボードを始めたのは、13歳上のお兄さんに、一緒に遊んで欲しかったからでした。
スケボーやり始めたら、遊んでくれるんかな?
そんな妹の気持ちを理解してか、お兄さんはボードを譲ってくれました。
しかし、スケボーが楽しくなった時には、お兄さんは違う遊びに変わっていました
朝からカチャカチャ音を立てて練習するため、お兄さんに、
うるさいからやめろ
と怒られたことも。
しかし今では、世界の頂点に立った妹を誇らしく思っていることでしょう。
◆まとめ
これまで見てきた通り、四十住さくらさんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、さくらさんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- スポーツ報知 2021年8月4日 【知ってる?】スケボー金メダルの四十住さくらはこんな19歳…子供の頃の夢は「保育園の先生」
- 毎日新聞 2018年9月14日 女子スケートボード 四十住選手「金」報告 大会後、初登校 橋本 /和歌山
- THE ANSWER 2020年5月3日 14歳で訪れた岐路 五輪金候補・四十住さくらの才能は「ラストチャンス」で開花した
- 日刊スポーツ 2019年7月6日 スケボ四十住さくら「メダルを母に」東京五輪へ決意
- 日刊スポーツ 2021年8月4日 スケボー四十住さくら金メダル!女子パーク「満開の桜咲かせる」有言実行
スケートボード選手!
コメント