東京都の医師会長を務める、尾崎治夫さん。
高齢者の仲間入りをした内科医です!
今回は、そんな尾崎さんを取り巻く『家族』の物語です。
◆実家は八王子の名士
尾崎治夫さんは、東京都八王子市の出身。
実家の尾崎家は、八王子の陣馬山(じんばさん)の麓で養蚕業を営み、代々村長をしている名士でした。
このため尾崎さんも幼少期より、
社会に役に立つ人間になれ
と言われて育ちます。
幼い頃から自然に親しむ環境で育ち、野山を駆け回り虫をとり、気がつけば生物が好きになっていました。
そんな自分が人のためになる仕事に就くなら…
と考え、医師を志すようになります。
このため、桐朋高等学校を卒業すると、大学は順天堂大学医学部へ進学しました。
◆兄は元連合赤軍
尾崎治夫さんには兄がいて、名前は尾崎康夫さん。[1]
1948年頃の生まれなので、尾崎さんより3歳ほど年上になります。
兄・康夫さんは、尾崎さんと同じく桐朋学園に通いました。
バスケットボール部に所属し、尾崎さんよりずっと頭も良く、理想とする兄でした。
大学は、横浜国立大学に進学。
普通の大学生活を送りますが、大学3年の時にテレビで「東大安田講堂事件」を見て共感します。
新左翼運動に加わり、最後は連合赤軍の一員となり、過激な活動を展開しました。
1971年2月17日、康夫さんは5人の仲間と共に栃木県真岡(もおか)市内の銃砲店に押し入り、
- 散弾銃9丁
- ライフル1丁
- 空気銃1丁
- 銃弾2300発
を強奪。
事件直後に警察に追跡され、ゴミ箱に隠れていたところを逮捕されます。
有名な「真岡銃砲店襲撃事件」ですね
この時に奪った銃器は、赤軍派による「M作戦(金融機関強盗)」や「あさま山荘事件」でも使用され、責任は重大です。
兄・康夫さんは、京都の刑務所に9年服役し、模範囚として出所しました。
出所以来、実家のテニスコートの管理人をつとめながら、静かに暮らしています。
東京都医師会長として活動する治夫さんについては、
会長として言いたいことを言っているみたいだから、いいんじゃないの。昔、私らは社会の医者だと思っていた。社会のおかしい部分、医者でも治せないものを治そうとしていたんだ……
と、語っていました。
◆弟はカメラマン
尾崎治夫さんには、弟もいます。[2]
弟さんも、桐朋学園出身で、大学は日本大学芸術学部を卒業。
卒業後はカメラマンとなり、週刊現代の専属カメラマンを経て、フリーで活躍しています。
◆妻も内科医師
尾崎治夫さんの奥さまの名前は、尾崎照代さん。[3]
尾崎さんと同じく、順天堂大学を卒業して、内科医師として活躍しています。
現在は、おざき内科循環器科クリニックを運営する、医療法人社団順朋会の理事長を務めています。
ちなみに尾崎さんは、おざき内科循環器科クリニックの院長先生です。
◆息子も内科医師?
おざき内科循環器科クリニックの公式サイトを見ると、非常勤医師のところに尾崎大さんの名前があります。[3]
尾崎大医師は、順天堂大学循環器内科に在籍。
2007年に東邦大学医学部を出ており、1983年頃の生まれだと考えると、尾崎さんと32歳差なので、年齢的にも合いますね。
◆まとめ
これまで見てきた通り、尾崎治夫さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、尾崎さんの挑戦は続いていきます(^o^)
◇脚注
- 週刊新潮 2020年8月27日号 コロナで脚光、東京都医師会会長の兄は元「革命左派」 弟に送る言葉
- 尾崎治夫氏Facebook 2020年8月14日投稿記事
- おざき内科循環器科クリニック公式サイト 2021年8月14日確認 医師紹介
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