2017年7月21日、作曲家の平尾昌晃さんが、肺炎のため亡くなりました。
今回は、生前の平尾さんを支えた妻や息子さんにスポットを当て、在りし日の故人をしのびたいと思います。
【本人プロフィール】
名前:平尾昌晃(ひらお・まさあき)
生年月日:1937年12月24日
没年月日:2017年7月21日(享年79歳)
◆実家は老舗の化粧品メーカー
平尾昌晃さんは、東京市の牛込(現・東京都新宿区)の生まれ。
平尾さんの実家は、「レートクレーム」という化粧品会社を営んでいました。
戦前では「クラブ白粉」「ウテナ」と並び、大手の化粧品会社の1社だったそうです。
このため、実家は裕福で、代々木の家は500坪、別荘も5~600坪はありました。
◆父親と母親
平尾昌晃さんの父親は、レートクレームの3代目社長です。
父親の4番目の弟である平尾貴四男さんは、国立音大の教授をつとめ、作曲家としても活動しています。
平尾さんが歌手デビューするとき、兄たちは
大丈夫なのか?
と心配しましたが、唯一賛成してくれたのはお母さんでした。
父親はいつも黙って話を聞くだけで、平尾さんのことはお母さんに任せており、口を出すことはなかったそうです。
◆5人兄弟の末っ子
平尾昌晃さんは、姉が2人、兄が2人の5人兄弟の末っ子です。
兄弟は、平尾さん以外は楽器をたしなんでおり、長女はピアノ、長男はフルート、次男はバイオリンをやっていました。
平尾さんの江の島の家は広く、リビングと庭を使って年に1、2回ダンスパーティーを開いていました。
来賓である米軍の将校たちを前に、姉たちは楽器を弾いてもてなしていましたが、平尾さんは音楽に興味がありません。
兄から
お前ぼっとしていないで、偉い人が来るから靴でも磨け
と言われ、せっせと靴を磨いていました。
ある日、玄関で将校さんが
いい坊やだね
と言って1枚のジャズのLPをくれます。
小学校3年生の平尾さんは、初めて聴くジャズに衝撃を覚え、はじめて音楽に興味を持つきっかけとなりました。
◆家族の家系図
平尾昌晃さん自身は、3回結婚し、3人の息子さんがいます。
家系図にするとこんな感じ。
それでは、時系列でご紹介していきましょう。
◆3人の妻
①最初の妻と結婚・離婚
平尾昌晃さんの最初の結婚は意外と遅く、1972年の7月、平尾さんが34歳の時。
お相手は、現役女子大生の服部暁子さんでした。
2人の間には男の子が生まれましたが、1975年5月、暁子さんは子どもを抱いて家を飛び出してしまいます。
理由は、当時デビューしたての歌手・小沢深雪さんと平尾さんが浮気をしていたというもの。
その翌月、平尾さんのもとに、離婚と1億5000万円の慰謝料を要求する内容証明郵便が届きました。
平尾さんは、
と要求をつっぱねましたが、離婚問題は家庭裁判所に持ち込まれます。
1976年1月、離婚調停が成立し、慰謝料1600万円と毎月15万円の養育費を支払うことで決着しました。
服部暁子さんは1981年5月、フジサンケイグループの鹿内信隆社長(当時)の長男・春雄氏と子連れ再婚します。
1982年6月には男の子が生まれましたが、その2カ月後、暁子さんはくも膜下出血で急死。
まだ29歳という若さでした。
②2番目の妻・小沢深雪と再婚・離婚
小沢深雪さんとの交際を否定した平尾昌晃さんでしたが、1978年には深雪さんと再婚しています。
別れた暁子さんが16歳下で深雪さんは21歳下。
立て続けに10代の幼妻もらった平尾さんは、
と揶揄されたそうです。
2人の関係も長くは続かず、1980年代半ばに離婚。
離婚の理由は、平尾さんの仕事が忙しくなり、スレ違い生活が続いたためでした。
その後、深雪さんはニューヨークに渡って再婚し、現地で日本料理店を開いているそうです。
③3番目の妻と安らかに…
平尾昌晃さんは、2016年、再々婚をしていました。
お相手の女性は、仕事関係で知り合い、数十年の親交がある50代女性。
明るくオープンな性格で気配りができ、平尾さんや仕事関係者からの信頼も厚い方です。
ずっと側で支え合ううちに親密になり、2016年、婚姻届を提出。
平尾さんが2年前に肺がんを発症して、入退院を繰り返したときも、女性は献身的に看病。
平尾さんが旅立つ時も、一番近くで見守りました。
◆3人の息子
①長男は?
平尾昌晃さんには、3人の息子さんがいます。
長男は、服部暁子さんとの間に生まれた男の子。
一般人のため、メディアに登場することはありません。
②2番目の息子は名古屋で活動
平尾昌晃さんの2番目の息子さんは、平尾亜希矢さん。
1978年10月生まれなので、今年(2017年)で38歳になります。
15歳で歌手活動を始めた亜希矢さんは、22歳から「平尾昌晃ミュージックスクール名古屋校」のプロデューサー兼講師として勤務しました。
2013年には独立して、名古屋市に「株式会社Arrowエンタテイメント」を設立。
芸能プロダクション、芸能・イベント・美容関連のプロデュース、飲食店経営など、幅広い分野で活動しています。
③3番目の息子はチャラ男から激変
平尾昌晃さんの3番目の息子さんは、平尾勇気さん。
1981年3月10日生まれなので、今年(2017年)で35歳になります。
2004年に歌手デビューした勇気さんですが、まったくヒットしていません。
イベントで父の名曲を歌いまくり、毎晩、西麻布で飲み明かすなど絵に描いたようなダメ2世。
2世仲間からは、
下品でチャラ過ぎ。2世のイメージが悪くなる
と酷評されています(^_^;)
父・昌晃さんからも見放され、絶縁され、電話にも出てもらえない状態。
しかし、2016年にテレビ出演した勇気さんは激変し、金髪だった頭を黒髪に戻し、スーツ姿で登場。
と、父・昌晃さんへの思いを伝えました。
親子の和解はあったのでしょうか?
◆まとめ
これまで見てきたとおり、平尾昌晃さんの活躍の陰には、たくさんの『家族』の姿がありました。
日本歌謡界の父は、家族にとどまらず、これからも後輩たちの活躍を見守り続けることでしょう。
◇編集後記
平尾昌晃さんのデビュー曲をご存知ですか?
さすがに、デビューシングルは見つけきれませんでしたが、デビュー曲を含めたベスト盤は存在しました、こちらです。
「瀬戸の花嫁」のイメージとは異なり、デビュー当時は、かなりロック色が強かったんですね(^_-)
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