千代の富士の『家族』~娘の突然死を乗り越えて…支えあった妻と3人の子供たち

昭和最後の大横綱、千代の富士関。

今回は、そんな千代の富士関を支えた「家族」にスポットを当て、ご紹介します。

名  前:千代の富士 貢(ちよのふじ・みつぐ)
本  名:秋元貢(あきもと・みつぐ)
生年月日:1955年〈昭和30年〉6月1日
身  長:183cm
家族構成:妻、長男、長女、次女
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◆生い立ち

千代の富士関は、北海道松前郡福島町の出身。

実家は漁業を営んでおり、貢少年は子供の頃から漁を手伝って自然に足腰が鍛えられ、運動神経が抜群でした。

福島町立福島中学校の陸上競技部では走り高跳び・三段跳びの松前郡大会で優勝し、

オリンピック選手もいける

と言われていました。

遠縁だった九重(千代の山)が、貢少年の噂を聞いて北海道巡業の際に勧誘に来ましたが、貢少年は気が乗らず、両親も入門に反対し、断りを入れています。

それでも諦めなかった九重が、

とりあえず東京に行こう。入門するなら飛行機に乗っけてあげるよ

と誘うと、飛行機に乗りたかった貢少年は、家族の反対を押し切って九重部屋への入門を決めたのでした。

◆被爆者の父親

千代の富士関の父親の名前は、秋元松夫(あきもと・まつお)さん。[1]

昆布漁で一家を支えた松夫さんですが、戦争中は陸軍に従軍していました。

広島市宇品にあった司令部で、敬礼の訓練中に、

ピカッと光った途端、爆風で小屋も崩れた

原子爆弾が広島に投下されたのでした。

力士になった千代の富士関は、大切な場所になると決まって肩の脱きゅうを繰り返しました。

骨が弱いのは、原爆の影響に違いない

何度も地団太を踏み、

子供をつくったのが間違いだったのでは

と、自分を責めました。

しかし、千代の富士関は父の心配を乗り越え、相撲界の頂点に上り詰めます。

1999年8月、松夫さんは74歳で亡くなっています。

◆母親

千代の富士関の母親の名前は、秋元喜美恵さん。[2]

母・喜美恵さんの実家である大村家が、先代九重の親戚であったことが、千代の富士関が力士となるきっかけとなりました。

2007年9月24日、喜美恵さんは84歳で亡くなっています。

◆妻・秋元久美子

千代の富士関の奥さまの名前は、秋元久美子さん。[3]

久美子さんの実家は福岡にあり、黒田藩の流れをくむ政治結社「玄洋社」の家系です。

千代の富士関は、北海道の南端にある福島町の出身ですから、この2人が結ばれるというのは、よほど強いご縁があったのでしょう。

ちなみに、千代の富士関は、同じ北海道出身の松山千春(まつやま・ちはる)さんと仲良し。

松山さんからみた千代の富士関の一番の金星は、良い女将さんを選んだ事だと語られています。

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コメント

  1. ユージ より:

    千代の富士の家族については大体は昔、ドラマで見た事があるので知っています。千代の富士には久美子さん以上に頭が上がらない人がいます。姉上です。ドラマでは弟が上京すると決まったその日から学校の休み時間や寝る暇を惜しんで手編みの腹巻を用意し、プレゼントしていました。今は故郷にある博物館の名誉館長をやっているとバラエティーで聞いたことがあります。いくら実の姉弟でもテレビカメラが回ってるそばで貢ちゃんはないよね。

    • カゲロウカゲロウ より:

      記事が記載しきれていない情報を有難うございます!
      皆様のご協力を得て、ブログの質が高まっていくのが嬉しいです。

  2. ハル より:

    副題の梢さんへの書き方が余りにも失礼で不愉快です

    • カゲロウカゲロウ より:

      コメントありがとうございます。
      ご指摘のとおりだと思いましたので、副題を変更させていただきました。
      「ハル」さんおよび関係者の方には、ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません。

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