高砂部屋に所属する大相撲力士、朝乃山関。

「令和」最初の優勝をかざりました!
今回は、そんな朝乃山関の結婚や、実家の家族についてご紹介します。
本 名:石橋広暉(いしばし・ひろき)
生年月日:1994年〈平成6年〉3月1日
身長体重:187cm/170kg
血液型 :A型
家族構成:①実家…父親、母親、兄、弟
②独立後…独身(未婚)
◆実家・生い立ち
朝乃山関は、富山県富山市の出身。

富山県出身の力士の優勝は、名横綱・太刀山(たちやま)以来、103年ぶりだそうです!
相撲をはじめたのは、富山市立呉羽(くれは)小学校4年生のときでした。
きっかけは、母校の呉羽小学校のグラウンドの一角に、「太刀山道場」という土俵があったためです。
もし太刀山ゆかりの土俵がなかったら、

(相撲を)やってなかったかな。相撲部もなかったんじゃないですか。横綱(太刀山)がいたからこそ、土俵ができたと思う
と、朝乃山関は話しています。
中学校は、富山市立呉羽中学校へ進学。
中学ではハンドボール部に入部しますが、

厳しい練習に耐えきれない
と言う理由で、相撲部に転向。
すると、相撲部の練習は、ハンドボール部より厳しいものでした。

そりゃ、そうでしょう
相撲部では、退部を切り出す機会がないまま稽古にはげみ、中学3年次には全国都道府県中学生相撲選手権大会に出場しています。
高校は、富山県立富山商業高校へ進学。
高校入学時は身長183cm、体重100kgの堂々とした体格でしたが、相撲部員としては痩せている部類であり、「かかし」と呼ばれていました。
高校2年生の時、額に剃り込みを入れて眉を整えたところ、
おまえは相撲に気合入れんと、どこに気合入れとんじゃ
と、相撲部監督に叱責され、ぶつかり稽古でボコボコにされたこともあります。
それでも高校3年生では、選抜高校相撲十和田大会で準優勝の実績を残しました。
高校卒業後は、近畿大学経営学部へ進学。
木瀬部屋所属の徳勝龍(とくしょうりゅう)関は、近代相撲部の先輩に当たります。

大学時代に個人タイトルは7つ獲得しましたが、主要な大会のタイトルはありませんでした。
しかし、4年生の時に国体成年の部4位、全日本相撲選手権大会ベスト4の実績を残したことで、2015年5月に創設されたばかりの三段目付出資格を取得。
近畿大学OBの15代若松(朝乃若)から勧誘を受け、高砂部屋へ入門しています。
コメント