奥野史子の『家族』~実家・父の職業は呉服屋?夫・朝原の画像!

シンクロナイズドスイミングのバルセロナ五輪銅メダリスト、奥野史子さんが注目を集めています。

今回は、そんな史子さんを育み、支えてくれる『家族』にスポットを当て、ご紹介します。 

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◆実家・父親の職業は呉服屋?

奥野史子さんの実家は、京都市中京区で呉服店を営んでいます。

それでは現在は、お父さんが呉服店を経営しているのかと思いましたが、実はお父さんは証券マンでした。

証券会社の仕事はハードで、帰宅はいつも深夜。

接待などで酔っ払って帰る事も多く、シンクロの練習や遠征で留守が多い史子さんとは、擦れ違いの人生でした。

お父さんは、シンクロの応援に来たこともなく、たまに口を開けば「シンクロばかになるな」。

練習のことで落ち込んでいても、「嫌ならやめてしまえ」と怒鳴るだけ。

メダルをとって帰って来た時は「おめでとう」と言われましたが、「こんなときだけ」と反発していました( `ー´)ノ

史子さんが、お父さんの本当の気持ちに気が付いたのは、引退して競技会の手伝いをするようになってからです。

衣装代や月謝、遠征費などの経済的負担、そして、マスコミ対応などで、選手の家族がどれだけ大変なのかが、改めて分かりました。

また、応援に来てくれなかったのは、怖くて見ていられなかったからでした。

テレビ中継があっても、ニュースで結果を確かめてから、お母さんと一緒に再放送で観戦していたのです(^^;)

そういうことを、おくびにも出さなかったのもお父さんの愛情。

競技に挑む娘に、少しでも集中できる環境を作って上げたかったのでしょう。 

◆母親のエピソード

奥野史子さんのお母さんは、縁の下の力持ち。

競技用の水着を、何枚も徹夜で仕上げてくれたりと、様々な面で史子さんを支えてくれました。

海外遠征費用が足りなければ、お父さんの実家である呉服屋さんを手伝って、費用を工面してくれていたそうです。

最近は実家で、23歳(!)の飼い猫「しーちゃん」と仲良く暮らしていました。

2010年、しーちゃんは天国に旅立ってしまいましたが、誰よりも悲しんだのはお母さんだったでしょう。 

◆兄弟はいる?

奥野史子さんには、お姉さんが2人います。

史子さんがシンクロを始めたきっかけは、お姉さん2人が自宅の近くの「京都踏水会」というスイミングクラブでシンクロを始めたことでした。

お姉さんたちは辞めてしまいましたが、史子さんが小学6年生の時にロス五輪があり、シンクロが正式種目となります。

シンクロの注目度が一気に上がり、史子さんはその波にうまく乗ることが出来たため、シンクロを続けることが出来たのでした。

◆夫・朝原宜治の画像!

奥野史子さんの夫は、400mリレーで北京五輪銅メダリストの朝原宣治さん。

朝原さんは、1972年6月21日生まれで、現在43歳なので、史子さんと同い年です。

2人は同志社大の同級生で、ゼミの席が偶然となりだったことを機に、交際をスタートさせました。

同じアスリートではありますが、史子さんは大学2年で五輪銅メダルを獲得。

朝原さんは、当時は走り幅跳びをやっていた頃で、オリンピックに出場できたのは1996年のアトランタから。

環境の違いもあったせいか、2人が結婚したのは、交際から11年後のことでした。

おっとり、柔和な朝原さんと、賢くてしっかり者の史子さん。

タイプが異なるため、よくケンカにもなりますが、史子さんは夫婦関係をこう考えています。

ゆったりな人だから、私が余計やらなきゃって思う。でもこういうデコボコの感じでいいのかな。

それではここで、朝原宜治さんと家族の画像をご紹介します。 

160220_奥野史子の家族

《引用元:同志社神奈川WEBサイト

朝原選手、現役ラストランの日の写真ですが、とても清々しい表情をされていますね! 

◆子供は未来のアスリート?

奥野史子さんと朝原さんの間には、3人のお子さんがいます。

第1子の長女は、2003年4月生まれで、現在小学校6年生。
第2子の長男は、2006年7月生まれで、現在小学校3年生。
第3子の次女は、2011年7月生まれで、現在4歳。

朝原さんが銅メダルを獲った北京五輪の時、長女は5歳になっていたため、現地に連れて行きました。

そこで五輪の迫力というか、殺気立った雰囲気を感じた長女は、色々なプレッシャー感じてしまったようです。

長女が小学校に上がる時、史子さんが「シンクロやってみる?」と聞いたところ、 

いやや、オリンピックなんて出たくない!

お姉ちゃんは厳しそうなので、オリンピックは長男くんと妹ちゃんに期待ですね!(*^_^*)

◆まとめ

北京五輪で朝原さんが銅メダルを獲得した時、史子さんは人目もはばからず、スタンドで号泣しました。

長年の朝原さんの苦悩を一番知っていたからこそ、誰よりも涙が出たのでしょう。

今度は、自分の子供の応援で、嬉し涙を流せるといいですね!

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