◆父・森保洋記さん
森保一さんの父親の名前は、森保洋記さん。[2]
職業は、造船所関連の仕事をしていたそうです。
父親の仕事の関係で、色々な場所を転々としますが、造船の本場、長崎県長崎市が最終的な仕事場になりました。
落ち着いた長崎・深堀町は、野球とソフトボールが盛んな地域。
洋記さんは、サッカーを始めた森保さんに、
ボールを足で蹴る? どこがおもしろいのか
と、1度はやめさせたこともありました。
それでも森保さんは両親に告げず、毎日隣町まで徒歩で往復1時間をかけて通い続けます。
やっぱり、子がやりたがっていることをやらせてあげたい
父・洋記さんは考えなおし、サッカーを応援するようになりました。
進学した深堀中にサッカー部がなく、隣の土井首中で活躍する森保さんに事件が起こります。
よそ者の活躍をねたんだ部員が、スパイクを隠すなどのいじめを始めたのでした。
来年からは練習には行かない
これを聞いた洋記さんは動きます。
深堀中の校長と教頭に何度も掛け合い、
グラウンドを使わない
という条件つきで、創部を許可されたのです。
練習場は、地元の造船場の裏手にある駐車場の使用許可をとり、顧問を頼んだ英語教師と一緒に、雑草を刈り砂利を拾って整備しました。
その後も学校側と交渉を続け、3年時からはグラウンドも使えるようになっています。
◆負けず嫌いな母
森保一さんの母親の名前は、真知子さん。[2]
母・真知子さんは、負けず嫌いな性格です。
運動会の前日には家族全員で近くの運動場へ行き、父をタイム計測係にして、真っ暗になるまでダッシュ練習を息子にさせました。
自身は60歳を過ぎても、孫の運動会で保護者の種目に出場し、しのぎを削っていたそうです。
穏やかな性格の森保さんに、勝負師の魂を植えつけたのは、母・真知子さんだったのです。
◆実弟・森保洋
森保一監督には弟がいて、名前は森保洋(もりやす・ひろし)さん。
1972年〈昭和47年〉1月29日生まれになります。
弟の洋さんは、地元長崎のJリーグチームV・ファーレン長崎のU18 アカデミーダイレクター兼U18チームの監督を務めています。
ViSta ~V・ファーレン長崎応援WEBマガジン~ :: アカデミー V・ファーレン長崎U-18 森保洋監督ショートインタビュー~戦う姿勢やハードワークをベースにして技術を発揮できれば、チームはまだまだ上にいける!~ https://t.co/zIOjEeIPdR pic.twitter.com/7FDuGKDYOl
— タグマ!運営事務局 (@targma) October 11, 2017
サッカー選手としては、兄と同じマツダのサテライトチームでキャリアを積み、Jリーグではサガン鳥栖で3年程プレーしました。
引退後は、地元長崎のJリーグチームで、指導者として兄に追いつけ追い越せと奮闘しています。
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